私のストレスはどんどん増していき、とうとう私は、精神的に限界のところまで追い詰められてしまいました。「もう限界だ。転勤希望願いを出して、A氏とかかわらない職場に移動させてもらおう」と思い、転勤希望のうまい理由がないかと書店で参考になりそうな本を探していたときのことです。一冊の本が私の目に留まりました。
それは心理学の本で、「ゲーム分析」というものが紹介されていました。パラパラと立ち読みしていた私は、その本のなかに「何を言っても否定する『イエス・バット』のゲーム」というものが紹介されているのを見つけたのです。「何を言っても否定するだって! まさに、A氏のことではないか」と思った私は、その本を買って帰り、むさぼり読んだのです。
私は「ゲーム」というと何かの遊びと思っていたのですが、その本のなかでは、「ゲーム」とは「裏に『罠』や『インチキ』といった否定的な面を内蔵した、人間関係の駆け引き」と定義されていました。つまり、「人間関係において、相手にストレスを与える目的で仕掛けられる罠」と私は理解しました。
そして、「ゲーム分析」とは、「どのような罠が仕掛けられているのかを解析し、人間関係のストレスを明らかにすること」でした。その本には、「ゲーム」には多くの種類があること、その一つとして「イエス・バット」のゲームがあることが紹介されていました。
「イエス・バット」のゲームというのは、相手の話を一旦は「そうですね」(イエス)と言って聞いておいて、すぐに「しかし」(バット)と言って反論するもので、どんなことにでも逐一反論するために、反論された側は非常に大きなストレスを感じることになるというものでした。目からうろこが落ちるとは、このことです。
A氏は、まさにこの「イエス・バット」のゲームを私に仕掛けていたのです。私が大変大きなストレスを抱え込んでしまったのも当然のことだったのです。「イエス・バット」のゲームという罠を仕掛けられると、仕掛けられた相手(私)は大きなストレスを受けるのですから。私は、私のすべてを否定するというA氏の罠にはまってしまい、その結果、ストレスをどんどん蓄積する羽目に陥ったというわけです。