男は一向に名を名乗らない。私は知らない人間と手をつないで見知らぬ土地を歩いていることに対して若干不安を抱き始めたが、それよりも、もっと気になることがあった。

「お兄さん」

「なんだい?」

「お兄さんの目をもっとよく見せて」

「目?」

男はちょっと驚いた顔をして、私の方を見た。ああ、この目だ。この美しい漆黒の瞳を、よく見たかった。

「お兄さんの目、文鳥みたい」

「文鳥? 面白いこと言うね。文鳥を飼ってるの?」

「ううん、図鑑で見たの」

「それじゃあ、僕も、今度見てみよう」

男は微笑みながらそう言った。その笑顔を見て、私は何故か急に顔が火照りだし、立ち止まった。

「なほ子ちゃん、どうしたの? 顔が赤いよ。具合悪い?」

「あの、本が……」

「本?」

「本が海の中に……」

「僕が探しておくよ」

「でも溶けちゃったから……」

「大丈夫だよ」

男はにっこりと笑って

「必ず見つけるから」

と付け足した。私はその言葉を聞いて、

「この人に任せておけば大丈夫だ」

と思った。