「口答えをするな。第一なんだ、人の顔を見るなり驚いたりして」

熱中症で帰ってきたくせに元気だ。

「あ、いえ、お父さん顔色が悪いなと……」

私は、驚いた理由を言うのが嫌なので、適当なことを言った。

「そんなに驚くほど悪いか?」

「私も疲れてるみたい」

そう言いながら私は、場の空気を誤魔化すように寝室を見回した。本棚がひとつある。だがその棚は、あまり埋まっていない。数少ない本は自己啓発本か、偉人伝、戦記物、経済学などで、フィクションは一つも無い。「小説なんか読んで何になるんだ。くだらない」父はそう言って、私にも課題図書以外の本を買い与えたことがない。

静真は読書が趣味だと言っていた。彼の本棚にはどんな本が並んでいるのだろう、と私は思いつつ、昔のことを思い出していた。

あれは私が小学校の、何年生の時の夏だったろうか。仕事中毒で滅多に家族を旅行になど連れて行くことの無い父が、珍しく海に行こうと言った。私は、ちょうど雑誌か何かで、女性が砂浜に立てたビーチパラソルの下で本を読んでいる写真を見て、「私も海辺で本を読みたい!」と思っていたところで、これは絶好の機会が訪れたと思い、一冊の本をバッグに入れて出かけたのだ。

ところが父は、旅行先で本を読むことを許さなかった。

「俺がせっかく海に連れてきてやっているのに、その態度はなんだ!」

そう言って父は、その本を私から取り上げ、捨ててしまったのだ。あれは何の本だったろうか……。