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家族旅行

こんなおかしな家族でしたが、一応家族旅行らしきものも経験してきました。

もちろん車内では、子どもたちが騒がないように注意しますが、その前の行先を決める段階で、彼は何の提案もしないくせに、その場所は〇〇だから面白くないとか、近すぎるとか、夫の興味あるものがないところはことごとく反対しました。

結局、いろいろ探して、夫の行きたいスポットもあるし、途中に子どもの喜びそうな場所もあるというようなところを選んで行きました。

夫の好みは、例えば洞窟や山。しかも、遠いところという条件付きです。ですので、できるだけホテルはプールが付いているとか、面白そうなイベントがあるとか、子どもの好みそうなところを組み合わせました。

いま思えば、とにかく夫と子どもたちの機嫌を損ねないように旅行をしていました。私が本気で家族旅行を楽しんだことなど、このころは一度もなかったと思います。

行く準備で疲れ、道中で疲れ、ホテルでも疲れ、帰って来てからの片づけに疲れ。旅行は疲れるものというのが当たり前でした。

それでも、家族4人で過ごした記憶は、私には過酷な思い出となっていますが、子どもたちには楽しかった思い出として残っていると、いまになって娘たちに聞いたことで、私がこのとき頑張ってきたことは実を結んでいるのだなと嬉しく思うのです。

ただ、このような旅行計画を立てる段階の苦労とか、車内での苦労、着いてからの苦労などは、子どもたちはまったく知りません。

だから、娘たちはつい最近まで"父親と母親が一緒の楽しい旅行"として認識していたようです。

これを知ったとき、私は意外だったのもありますが、私のしてきた努力が娘たちには気づかれることなく、ごく自然な「家族旅行」としての記憶になっていることに、自分の功績を称えたいような気持ちになりました。

あんなに苦労して4人で過ごしたことが、子どもたちにとっては良い思い出となっている。ならば、私は辛かったけれど、やってきたことは間違っていなかったし、きちんと子どもたちの「家族の思い出」として残っていることに誇りを持っています。

家族の中で、私だけが疎外感を持つこともありました。

子どもには夫の異様さは、実感としては伝わらないので、私だけが父親である夫をキツい言葉や言い方で傷つけているというような感覚が、きっと子どもたちの中にはうっすらあったと思います。

それが、いまになって、子どもたちと当時のことやいまの夫の状況を話すとき、どんどん誤解が解けていく様子が面白くもあり、楽しくもあり、幸せでもあります。