帰国した伊藤は、早速ディックの社長室に倉本社長を訪ね、
「韓国は、現在オリンピックの成功に向けてエネルギーを結集し、好況である反面、陽明自動車のストが三週間に及び、また韓国鉄鋼工業の争議も一ヶ月以上になるなど問題を抱えており、オリンピック後の反動不況も懸念される状況にはありますが、パートナーの李正真社長は、日本に永住権を持つ在日韓国人で日本への理解もあり、高い識見人格は申し分なく、また部下からの信頼も高いようです。
今回終始行動を共にして、より一層尊敬と信頼の念を深めることが出来ました。ともかく、稀にみる立派な人で、経済界にも面識広く、合弁のパートナーとしては最適です。先方から、共立貿易ではなく、李個人として合弁を行いたいという申し入れがありましたが、我々にとってもこの方が好都合だと思います。夫人の権美子さんは、友人、知人に知名人が多く、素晴らしいレディーであり、また素晴らしいパートナーです」と胸を張って説明した。
五月三十一日両者は、ディック本社でミーティングを持ち、社名、資本金、出資比率、役員数、技術援助契約などの大綱を決定した。李は、日本側から来た合弁契約書案について、韓国で最もアグレッシブな法律事務所として知られているパン・パシフィック法律事務所にチェックを依頼した。
海外との合弁事業や、貿易のトラブルで韓国側に有利な判決を引き出す民俗派法律事務所としてその名を馳せていた。日本側の合弁契約書案は、李側にとって不利になるような条項は一切なく、伊藤が韓国を訪問してから一ヶ月半過ぎた十二月十二日、ディック本社で合弁基本契約書の調印式が行われ、韓国において、会社設立を申請した。
一九八八年(昭和六十三年)十二月二十六日、日本側が、四九%、二億五八〇万ウォン、李正真が、五一%、二億一四二〇万ウォンの払い込みを完了し、資本金四億二千万ウォンの合弁会社韓国ディック・ペイント株式会社が正式にスタートした。
李正真は、代表理事社長、妻の権美子は理事、兄の権聖振は、専務理事営業部長で、新会社は、船出した。兄の権専務は、共立貿易の理事も兼務していたが、今は、新会社の営業に全力投球していた。また、DPからも、木幡営業課長が営業支援に頻繁に訪韓し、権専務の営業を支援した。