日本編

株式会社天龍実業で新しい仕事が始まった

さて何から手を付けたらいいのか。本社で社長をはじめ販売部長や経理部長など主だったスタッフとの協議で数日が過ぎ、計画の骨子がみえてきた。

天龍実業の新製品の詳細仕様決定には用途の完全理解が必要であり、そのための資料の提供を新設された本社の企画室に請求した。

モデルは旧来の製品だったが、これからの新しい市場を想定して新製品として売り出す作戦を立てることになった。製品は各部品を個別に製作しそれらを組み立てて完成品とし、梱包して出荷することが骨子で、これには流れ作業が適していると判断した。

部品ごとの設計、工程のレイアウト、設備の設計など忙しくなりそうだった。

原材料やプロセスは旧製品とは全く異なり量産に適したものでなければならない。その工場建屋は予想必要生産能力と設計されたプロセスに適した床面積、走行クレーンなどの基本設備を設置できる設計であることが要求される。

要するに全く新しい設備の稼働と製品の品質機能確認をすること、その量産体制をゼロから始め、完成することが政裕の任務だった。

天竜の建屋でその計画と準備作業に使うために事務所が用意されていた。そこに他社から移籍してきた数人がいた。政裕の着任前に雇われたばかりだった。

政裕はほかに必要な技術スタッフ、事務職員、現場主任など雇い入れて人事構成が完成した。

既存の工場建屋の改築に加え新築の建屋の設計と建築請負業者に見積もりの依頼、発注など、量産に必要な設備、工具類、未経験の分野だったが計画の骨子をリストアップし、目標完成期日に至る日程表などを作成、本社に出向いて社長に提出した。

予算は詳細な見積もり作業を進捗に応じその都度本社に提出、承認を受けることになった。

ヨーロッパ旅行

数か月が過ぎた年の暮れ近く、本社に呼びだされた。

用件はヨーロッパに出張させられることだった。翌年三月に大手総合商社Mの招待で瞬間湯沸かし器のメーカー、ドイツにあるV社見学ツアーに参加することだった。

当時天龍実業はその製品の日本での卸売販売量が多くの業者の中でトップの実績があった。本来、セールスから人選されるべき案件であり政裕の出る幕ではなかった。

三週間の長旅は計画中の新工場建設プロジェクトに大きな遅れを出すことになることもあり、新入社員の自分の出る幕ではないと思い彼は辞退した。

しかし販売部長だった社長の舎弟が参加することになっていて、それが適任だったはずだが何かの理由で彼は辞退していた。結局政裕にお鉢が回ったのだった。

東京で旅行説明会があり政裕も出席した。見たところ年配の恰幅のいい企業主らしき人たち三十数名のグループだった。政裕だけが三十六歳の若造だった。