別れ

重い足取りで寝室に向かい、部屋の明かりを灯す。母のためや家族のため。そんな綺麗事に逃げるつもりはない。これまでの選択だって、すべて自分で下してきた。医師を志したことも、多恵を妻に迎えたことも、母さんと同居することも。けれど、このやり切れなさはなんだろう。毎日がひたすら味気なく、レール上を走らされている気分だ。

幼き自分が思い描いた未来に生きているはずなのに、これで良いと胸を張れない自分がいる。照らし出される寝室の中央にあるベッドはホテルさながら、布団と毛布が半分に折られている。スタンド机には、わたしの眼鏡ケースが所在無さげに置いてある。完璧すぎて寒気すら込みあげる。わたしはすべてを壊したくなるような衝動に身をよじりながら、クローゼットに手を掛ける。すると扉がノックされた。

「どうぞ」

わたしが寝間着に身体を滑りこませたのと、多恵が心配そうな顔で扉を開けたのはほぼ同時だった。不自然な沈黙が場を支配する。

「今日のお勤めも、大変でしたか」

眉をハの字型にしながら頼りなく尋ねてくる。献身的な多恵であったが、なぜだか彼女と一緒にいると余計に疲れた。

「心配には及ばないよ。ちょっと疲れただけ」

「なんだか最近、あなたがどんどん元気を失っている気がして」

それが的を射ているだけに、誤摩化(ごまか)すしかなかった。

「はは、大袈裟(おおげさ)だな。大丈夫だから」

わたしはクローゼットの扉を締めながら嘆息した。なぜこんなにも窮屈なのだろう。疲れたら疲れたと騒ぎ、つらいことをつらいという、あたりまえのことが伝えられない。世界と自分のあいだに見えない境界が張り巡らされている。わたしが変わってしまったのか、はたまた世界が変わったのか。答えなら、分かっていた。この世界から神様がいなくなったからだ。

それでも夜が明ければ朝が運ばれてきて、人生は続く。だから―