別れ
やがて人の往来がない遊歩道に出た。
街灯もまばらになる。手を伸ばせばすぐ届く距離。けれどもその距離がどういうわけか、絶望的なまでに遠い。
「ねえ、諌くん。知っている、私って神様なんだよ」
わたしは真意を見極めようとした。頭上では十六夜の月が静かに輝いている。
「私は諌くんとの成りゆきを決定できる神様。私がいいよって言ったら関係は続くし、終わりにしましょうって言ったら清算になる。そんなわがままな神様ね」
彼女の背中をぎゅっと抱きしめられたら、どんなに良かっただろう。そうしてしまえば、わたしは真理から離れられなくなる。それは肉体ではなく魂の意味で。
「なあ、眞理。気づいたんだ」
少年は神様の背中に願いを掛ける。
「わたしは多恵とかいう子よりも、きみに」
そこで神様は翻り、少年の唇を塞いでしまった。甘い痺れが全身を駆け巡る。少年は愛の言葉を最後までささやくことができなかった。
「神様から、最後の施(ほどこ)しです。この関係は今日で終わりになります。篠原諌くんは地元に帰って、優しい多恵さんと結婚し、今まで大切に育ててくれたお母さんと一緒に暮らしなさい。これは神様からの絶対命令です」
その言葉に込められた強がりがあまりに切なく、痛々しかった。なぜなら神様は
「なんで。なんで神様は、泣いているの」
彼女は涙を拭おうとはしなかった。
「やだな、知らないの。神様は泣くんだよ。自分が作り出した世界に傷つけられることを、だれよりも知っているから」
彼女は別れのそばで微笑んだ。星屑の涙に別れの寂しさを滲ませながら。そして二年後、わたしは多恵と結婚した。やがて大学病院近くに一軒家を建て、母を迎えての同居生活を開始する。
結婚してからの生活は多忙を極めた。すこしでも早く大黒柱になれるように、難しい症例を担当しては臨床論文を書き、土日は基礎研究に明け暮れた。当直も率先してこなした。すべては家族をしあわせにするために。そんな言葉を自分に戒めながら。
久しぶりにはやく帰宅できたその日、わたしは仕事用鞄を抱えてため息をついた。辿り着いた自分の城を見上げる。白壁の外観はみずみずしく、玄関までいたる道の傍らには、色とりどりの花々がところせましと並んでいる。
正面には緑の生け垣が植えられ、非の打ちどころがないと近所でも評判らしい。生け垣の横には、茶色のレンガを積み上げた門があって、黒の鉄格子が門扉として設置してある。
その呼び鈴の隣には『篠原』の文字が刻まれた灰色の表札があった。夢に描いたような理想の家。それは間違いない。だがわたしには、誇らしいどころかひどく惨めで息苦しかった。まるで監獄のようで、あまりにも隙がない。
「これで良いんだ」
自分を納得させるように独(ひと)り言(ご)つ。その拍子に涙が溢れそうで慌てて袖で顔を擦った。わたしは自分の感情が、よく分からなくなっていた。