作業療法の設立者

当時のアメリカ社会では、産業革命の影響で生産性が重視され、人々は忙しさに追われ、手仕事の価値は軽視されていました。そこでは、多くの傷ついた兵士が戦争から帰国し、ヨーロッパから移民が新天地を求めてアメリカに移り住み、多くの人々が結核のために困難な状況にありました。

帰国した兵士たちは、戦場で傷ついた心身を回復し、コミュニティーの中で仕事を見つけ、新しい生活を作らねばなりません。ヨーロッパからの移民たちは、異なる文化の中で、住む場所を見つけ、仕事を獲得し、家族を養い、市民となり、新しい生活を構築するのに苦労していました。

当時蔓延していた結核から回復した患者たちは、体の治癒に時間がかかるばかりでなく、体力をつけ、技術を身につけ、仕事を見つけ、新しい生活を作らねばなりませんでした。

これらの人々が健康になり、仕事のスキルを身につけ、新生活を始めるために、様々な職業の人々が援助していましたが、作業(活動)の力に気づき、人々の健康のために作業を使う専門職とその教育の必要性を訴えたのが、前述した作業療法の設立者たちでした。

当時、還元論的な(細部に分けてものごとを理解しようとする)考え方が台頭し、人間を身体のパーツや身体と精神に分けて理解する傾向が強まっていましたが、作業療法は人間を包括的(全体的)に捉え、社会の中でアクティブに活動し、人生を進む存在であると考え、人間の作業には健康を増進する力があると信じました。

この人道的な考え方は、当時の精神衛生運動や道徳療法などの社会運動に共通する特徴でした(Christiansen,2008:Clark&Larson,1993)。

その基盤には、人間は活動を通して周囲と調和をとっていく有機体であるというMeyerの考えがあり(1922)、人々が健康に生きてゆくには、食べ物と同じように、作業が必要であると考えました(Dunton,1919)。