第4節 この町のために、今自分ができることを模索した末に
選挙に当選するまでの道のりは苦しく、荊の道を進むようなものであったが、大変なのは当選してからであった。
責任と期待を一身に浴びて行政運営の内に飛び込んでみたものの、民間では考えられないことが起こっていた。
既得権なのか、古臭い行政手続きが今の時代に合っていないものが、継続して運用されていたのである。
そして、議員1人には何の権力も権限も無かった……。
あるのは議決権だけであり、その議決権も多数決の原理が存在し、この町では16分の1の権限しかなかった。
それでも自身が考えた理念と使命、背中を押してくれた方々の期待に報いるために、本来であれば人が避けて話すだろう議題についても議場では公然と発言し、様々な研究・学習を積んだ上で、政策の提案を行った。
この間に京都府庁や国会、議員会館に何度足を運んだだろうか……。
そこでは、その都度学ぶことが多くあり、人との繋がりもできた。議会は、3月・6月・9月・12月の年4回の定例会の他に、常任委員会がある。
元々の仕事と議員の仕事を兼業している者にとって、特に長期間拘束される3月・9月は、特に大変であった。
例外なく、事務所の業務は従前と全く同じペースで行わなければならず、その上で、議員としての業務を怠ることなく、履行しなければならないため、地獄かと感じるほどに多忙な毎日だった。
議員は「自分のために仕事をするのではなく、人のためにする仕事であり、私益を追求してはならない」「利他を追求しなければならない」のである。
ひ弱な私を議場壇上に押し上げてくれた厚情と期待に対する責任を果たすべく、凄まじい重圧を感じながら町の改革案を考えた。
地方議員及び首長の仕事は「その町に住むすべての人の生命と財産を守り、安心と安全を確保し、生活の安寧を推進すること」である。
この4年間に私が議場で訴え続けたのは「教育の充実」であった。