病室と人の死
僕の入っている病室は、ナースステーションの真横にあった。ナースステーション側の壁が分厚いガラスで丸見えになっている、少し変わった部屋だった。僕のベッドは廊下側の端。
いまから比べるととても狭いけれど、真ん中のベッドはさらに狭くて、長い闘病生活を送るのに必要な大量の荷物なんか置けやしない。
僕の横のO君は白血病だった。
彼は食事制限がなく、病院のまるで美味しくない料理なんか食べない。彼のお母さんはいつも差し入れしており、僕にもくれたので、それをこっそり食べていた。こっちは腎臓病食。味気ないし、冷えたご飯は美味しくない。最初はショックで涙がこぼれそうなほどだった。
ある日、献立を見たらカレーだった。とても嬉しかったが、運ばれてきたのは味のないドライカレーだった。隣のO君は仕切りのカーテンをシャッと開けて、これ見よがしに美味しそうなカレーを食べるのである。
コンニャロと思った。何せ暇な入院生活、3度のご飯が唯一の楽しみになる。僕は完全に不貞腐れた。
そんななかO君が手術することになり、そして2度と僕の隣には戻って来なかった。
「あーやれやれ、これ見よがしに食べる奴がいなくなって清々した」と思った。
O君は開腹手術したけれど何もせず縫合したそうだ。あとから母親に聞いたのが、彼の癌は全身の臓器に転移していて、最早手の打ちようはなかったとのこと。彼はナースステーションの通路を挟んだ横の部屋に移動した。
それから何週間かした夜、何かの叫び声で目が覚めた。よく聞くとO君の声だ。「ウォーッ」とか「ギャーッ」とか、もう獣のような叫び声で、僕はドキドキして眠れなかったのを覚えている。
この叫び声は癌性疼痛によるものだ。彼が叫ぶと心電図計のプンプンプンという音も乱れる。静かになると音が普通の心拍音に戻る。叫ぶ、静かになるを繰り返し、日ごとその間隔はせまくなっていく。
看護師さんが真剣な表情で「あまり廊下に出ないでください」と言うのだけど、僕は「何言ってんだよ」と思った。
彼の「痛いー!」という叫び声は少しずつ聞こえてこなくなり、最後に心電図計がプーと長い音を発して声が止んだ。11歳の僕が初めて身近に感じた人の死であった。
看護師さんが「廊下にあまり出ないでください」と言ってからわずか数時間の話だった。
現在の一般病室は大概1室4人部屋が多いと思う。僕が小学生の頃は1室6人部屋だった。
なぜこのときの部屋がガラス張りだったのかはいまでもわからない。小児科入院病棟はO君のような小児白血病の患者がたくさんいた。多くは放射線治療で脱毛しており、耐えがたい治療や検査を行う。
僕は長い入院生活で完治した人を一人だけ見たことがある。本当に患者自身もその家族にとっても辛い病気である。