「俺のせいなんだ」
「いったい、なにが」
「結論から言います。敗血症性ショックで集中的治療が必要だったからです」
敗血症。それは血液中に菌が入り込んで体中で暴れ回る状態だ。母のように免疫が低下している高齢な患者では命に関わる病気で、そこにショックという循環不全も加わっているということ。神谷先生はさらに悪い知らせを運んだ。
「容態は厳しい状況です。万が一の事態も考える必要があります」
眩暈(めまい)がした。なぜ、こんなことが。現実に靄が掛かり、感覚が抜き取られていく。
「分かりました。お電話、ありがとうございます」
どこか人ごとのように冷めた自分がいた。
「もしもし、篠原先生。もしもし」
神谷先生の返事を待たずに受話器を切る。鳴り響く不通音が虚しい。急に両眼の焦点が合わなくなり眉間をほぐす。自分が踏みしめるリノリウムの渡り廊下が歪んでいた。ここはどこだろう。わたしの世界を意味づけていた羅針盤が完全に失われた。だが機能不全の頭でも、分かっていることもある。
選択するなら、今しかない。九州にいる母の最期に立ち会うためには、今から出発して間に合うかどうかだ。わたしはしばらくのあいだ葛藤し、立ち止まっていた足を公衆電話に向けた。震える指で小銭を入れ、ダイヤルを回して自宅に連絡する。親不孝の息子でもできる限りのことをしよう。そう思った。どうしてわたしは、大切なものを大事に抱きしめることができないのだろう。