「なあ、母さん。なにが不満なんだ」
母さんが九州に旅立つ最後の夜、わたしは母さんの寝床で苛立ちをぶつけた。ゴム毬まりや陶器の人形で埋めつくされた部屋は広く蘇り、箪笥(たんす)が置いてあった一角に布団一式が置いてあるのみだ。ひどく殺風景な部屋の中央で正座する母は、とてもか弱く儚げに見えた。
「なんども言って聞かせたじゃない。不満なんてこれっぽっちもない。これは私の我儘だって」
「そんな説明で納得できるわけがないだろう」
母さんはあからさまに顔を顰(しか)めて、ため息をついた。尋問のように問い詰められて嫌気が差しているのも、分かっているつもりだ。だがわたしも後味の悪い幕切れは勘弁して欲しかった。せめて母の言葉で納得させて欲しかった。わたしたち家族と離れてまで、ひとり暮らしに拘(こだわ)る理由を。
「今からでも遅くない。考えなおしてくれないか」
「結論は変わらない。私は九州に行くわ」
「なあ、どうしてだよ」
「諌、それがあなたの悪い癖よ。すべてに白黒なんてつけられない。人間はそんなに簡単じゃないって、いつも言って聞かせているでしょう」
疲れも相まっていらいらが募り、怨嗟(えんさ)の声が飛び出しそうだった。母さんと同居するにあたって、嫌味や小言をちくちく言われても、歯を食いしばって耐えてきた。多恵にも、どれほどの気苦労を掛けてきたことか。それでも母さんという存在を尊重して同居を続けてきたし、陽菜だって母さんを必要としている。
そんな順風満帆な生活をぶち壊す母さんの決断は、今までわたしたちが積み上げてきた時間や努力のすべてを真っ向から否定しているような気がした。
「もういい、勝手にしろよ」
こんなの、わたしたち家族への裏切り行為じゃないか。
「どこにでも行けばいい。駅にもひとりで行けよ。送迎するつもりはないから」
「勘違いしないで、諌。私は」
逆上したわたしは、母の言葉を聞き届けることなく、乱暴に扉を閉めた。近い将来、母さんはわたしたち家族に泣きついてくる。そうに決まっている。ひとり暮らしなんて、どだい、無理な話なのだから。そう高を括っていた。
それが今生の別れになるなんて、夢にも思わなかったんだ。