「釈然としない顔だな、諌」

「おまえが嬉しそうじゃないから、なんて言えばいいか分からないんだ」

「まあ、そうだよな。俺自身、納得できてねぇんだから」

優介は遠くを見つめながら、ぽつぽつと事情を話してくれた。院長である親父さんの様子が、このところおかしいのだという。数分前に出した検査内容を忘れる。処方箋を出しそびれる。さらには往診するはずの家が分からなくなり、患者に迷惑を掛ける始末らしい。

「親父は絶対に認めないが、あれはもう完全に認知症だ。だが身体は元気なもんで、本人はまだまだやれると勘違いしているから、余計にタチが悪い。親父のケツを拭くお目付役が必要なのさ」

「だからって。おまえが犠牲になる必要はないだろう」

「適任者がいねぇんだよ。うちの親父って外面はいいけど、身内には頑固でワンマンだったから、勤務医たちも愛想尽かして軒並み辞めちまってさ。それに爺ちゃんの代から続くクリニックだ、俺が継ぐのが自然だろうよ」

「だけど」

ここまで培ってきた、心臓外科医としての経歴はどうなるんだ。喉まで出掛かった言葉を、なんとか冷たい水で飲み下した。そのことを一番理解しているのは優介本人だろう。心臓という特殊な臓器を専門にする心臓外科医と、風邪や健康診断などを扱う一般内科診療では、あまりに畑違いすぎる。いわゆる潰しが効かないのだ。

「俺だってさ、うちのクリニックなんて潰れちまえってなんどとなく思ったさ。だけど俺たちを慕ってくれている患者家族のことを想うと、居た堪れなくてよ。俺たちの都合で、そいつらを放っぽり出して路頭に迷わせるのかってな」

ひとつのクリニックが閉鎖されれば、その一帯の人々は、別の病院への通院を余儀なくされる。地域に根付いた病院であれば尚のこと。こいつは今まで多くは語らなかったけれど、その両肩には、凄まじい重圧が乗っかっていたに違いない。

「たまに自分の生まれを呪いたくなるよ。そこに生まれたら最後、呪縛からは逃れられない」

苦々しそうに呟いて、優介は重い腰をあげた。

「久々に逢ったのに、辛気臭い話で悪かったな。だけど辞めるまえに、おまえに話せて良かったよ」

優介は席を立つなり、ぼさぼさの頭を掻きながら足早に消えていった。わたしは飲み終わったグラスの氷をストローでかき混ぜる。医師生活もかれこれ十年になる。純粋な憧れが失望や苦悩に変わるには、十分な時間だろう。