米国と日本の大学の比較
日米大学生の学習時間を比較したところ、米国の大学では1週間に6時間以上の学習時間が80%以上を占めているのに対して、日本では32%以下である。全く勉強していない0時間が1割を占めるのも驚きである。我が国では大学入学が目的化し、大学で学業を修めるという本来の目標が喪失してしまっている。
なぜ日本の学生は大学入学しても勉強をしないのであろうか? これは学生に問題があることは論を俟たないが、就職に際して学業成績に関心を示さない企業側にも大いに責任がある。
まず、採用基準は協調性に始まり、アルバイトやクラブ活動でのリーダーシップ経験などが優先され、肝心の成績は重視されていない。
筆者の研究室の学生が就職する際、その学生の研究や学業について、指導教授にヒアリングに来た企業は20年間で1社もない。また企業のトップを招いて大学で特別講演を依頼する際、「『学業成績は関係ない、要はやる気と体力だ』、との言葉だけは控えてください」と、お願いしている。
なぜなら、学生が「社会に出てからは、大学での勉強は関係ない」と誤解してしまうからだ。一方、ハーバード大学の学生といえども、成績が「中の下」以下だったら、グローバル企業は見向きもしない。
本業の勉学意欲喪失の傾向は教科書にも表れている。米国ではノーベル賞級の学者が理科の教科書を作ることもあり、一冊100$以上の価格が一般的である。したがって日本の教科書(高校生物)の厚さ・大きさには世界との大きな差が生じている。図2の写真に「機械材料学」の筆者執筆の教科書と米国の教科書を比較して示す。
米国で使用されている大学初学年の「機械材料」の教科書は多色刷りB5版相当で1000頁前後、価格は1万円を超える。一方、日本の大学教科書はさらに小さいモノクロA5版200頁、3000円以内が多数を占めている。
出版会社は「今の大学生は3000円を超えた教科書は買わない。欧米のようなカラー刷りの良心的な教科書を作りたい気持ちはあるが、学生だけでなく教授からも相手にされない」と嘆いていた。
ものづくり教育を語る前に、人材教育で大変気になることがある。
戦後、大多数の国民は貧しかったため、有為な人材は、その経済環境を問わず国や地方が救い、等しく教育を施す努力がなされてきた。
しかし、現在は進学・教育を受ける機会そのものが固定化しはじめている。東京都各区の大卒人口率と公立小学校5年生算数の平均正答率の関係は、親の大卒人口率が高いほど、平均的学力が高い相関(相関係数0・91)となっている。教育の機会均等が崩れつつあり、日本社会のシステムがますます硬直化してきている。学生も授業料は親丸抱えのため、高額授業料の痛みを感じる機会もない。