競争的研究資金配分および重点主義の弊害

2020年2月19日の日本経済新聞によれば、民間を含む研究開発費の世界首位は米国で5490億ドル(約60兆円)。中国も4960億ドルに達する。日本は1709億ドルで米中の3分の1である。もはや資金力の差は埋めようがない。(図3)

[図3]民間を含む研究開発費:2020年2月19日付日本経済新聞の記事をもとに作成

2004年の国立大学法人化を機に、文部科学省の運営費交付金は毎年約1%ずつ削減され、1兆2415億円から2018年度は1兆971億円と約12%の減少となっている.この削減は研究教育の基盤的経費が15%~18%削減されたことに相当する。

大学運営の基本である教育経費は削減できず、結果的に予算削減のしわ寄せは研究費の大幅な削減となった。この法人化と同時並行で進められたのが、「研究予算の選択と集中」との美名で呼ばれた競争的資金の科研費(科学研究費補助金)であった。

日本には技術を見極める目や、投資の決断力を持つ司令塔が見当たらない。

文科省の立ち居振る舞いも大切だが、文科省の決定権は財務省にある。その財務省には、理工系の本質や、ものづくり技術を支援する人材がいない。

前・国立大学協会会長の山極京大総長と財務省幹部とが激論し、「重点配分主義は流行を追いすぎている」との批判に対して、財務省は全く聞く耳を持たず、「国立大学の運営費一律削減は信念をもってやっている」と発言したのには、びっくりした。

「引抜き研究」で筆者も競争的資金・科研費を申請したことがある。数回の採用不可の後、思い切って「ナノ」とか「ピノ」とか「ポニョ」とか、使い慣れない当時流行の単語を散りばめ、自分でも恥ずかしくなるような申請書に書き直したところ、やっと通った経験がある。

大学の評価について、注目研究重点主義で決める弊害は極めて大きい。若い研究者は現在流行中の、短期的に成果の出やすい研究に走りがちである。

名伯楽や信頼できる第3者機関による評価が期待できない現状では、研究費の“選択と集中”をやめ、研究費配分は個々の大学に任せ、大学ごとに特色ある研究・教育に戻すべきである。

多くのノーベル賞受賞者がこの点を強く指摘しているが、財務省・文科省の対応は鈍い。政府は、最近10兆円規模の大型ファンドを創設すると発表したが、その配分法は政府の有識者会議で決めるという。有識者が名伯楽になるとは限らない。ここが問題である。

誤解を招く表現だが、「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」が、長期的に見れば、最も確率高く、優れた結果が得られる方法であると著者は信じている。