作業療法士から声をかけられ…

同じ時間をかけて同じ道程を戻り、病室に到着した。天井のみの病室に帰るまでの三十分間の旅が決行されて、成功した瞬間だった。車椅子に仰向けに寝ている京子は、身体が満開に咲いた花びらと共に宙に浮いていると勘違いしただろう。降り注いでくる花びらと、自然の風と一緒に自分も煽られ、外気と思い切り戯れる自由な姿が、自分の目に映ったに違いない。次に一瞬、京子は自分が地面になったと思ったかもしれない。

思いがけず、木の根元から見上げた格好になり、枝が天空に伸びて広がっていく。花の生命だけが、眩しい光の中へ、飛散していく瞬間の姿を捉えたと思われた。今年がだめなら、もう夫婦で一緒に桜の下に立つことはないだろう。そう考えていた私にとっても、思いがけないサプライズだった。

落ち込んでいた私の心の中に鮮やかな桜の花びらが降り積もっていった。傍らの京子の目に、いつの間にか滲んだ涙が頬から耳へと伝い始めている。私は、妻と共有した今という時間は、もう二度とこないと思った。

当然、医師の許しを得ていた。全ては私達を感動の旅に誘うために、療法士三人の秘密として事が運ばれていたことを後で知った。

花冷えというのか、春先特有の雨と風で全国的に天候が荒れていた。そのせいで病院の裏手から駐車場のアスファルトの水溜まりに、花びらが吹き寄せられていた。あえて遠回りをして病院の玄関に着くことにより、花の終わりと時間の経過を改めて感じた。

夜にいつも病院から帰る頃、裏口の薄暗さから孤独の静かさを感じ取っていた。そんな周りの景色を見失いかけていた私の心を、一瞬にして明るく解放してくれた桜、今自分の存在している確かな位置に見当がつくようになった。自然と人とが繋がり、多くの事を知らしめようとしてくれた療法士の心が、春風と共に深く心にとどまった。

中国から毎年季節風に乗ってくる黄砂が、久しぶりに風雨でかなたに飛び去り、打って変わって青空と白い雲が駐車場の空に広がっていた。『枯れるんじゃないぞ。少なくとも私達が、この世に生きている間は……』車から降りた私は、桜の木に音声にならない声をかけた。