作業療法に興味を持ったきっかけ
22歳の時、私は親からの自立を目指す文系の大学生でした。やっと会社勤めの内定を取り付けた後に、弟が交通事故に遭い、彼の生命も生活も危うくなりました。その後手術を繰り返し、入退院が続きましたが、当時の私は医療の知識がなく、全く予後を理解していませんでした。
私は単純に弟の回復を信じ、最初の予定通り社会人生活をスタートさせましたが、間もなく、「私が会社勤めを続けるのは何か違う」、「これは、弟の、そして、私の一生に関わることだ」と考えるようになりました。私は会社を辞め、実家に帰り、弟の病院に通いましたが、弟の状態はなかなか改善しませんでした。
そのころ、リハビリテーションという分野には、理学療法士、作業療法士という仕事があることを耳にしました。私の住む街には、作業療法士はいなかったし、養成校もありませんでした。町の本屋で見つけたリハビリテーション関係の本は上田敏先生著の『目で見るリハビリテーション医学(第1版)』(1971)とボバース法の専門書の訳本の2冊だけでした。
専門書はまったく意味不明でしたが、『目で見るリハビリテーション医学』に書かれた世界に私は魅せられました。久しぶりの明るい経験でした。障害者がみんな社会の中のどこかで、生き生きと過ごす、楽しく生きる。患者たちがベッドから抜け出て楽しそうに動き回る。そんなイメージを私はその本に見出しました。そのための専門職として、理学療法士と作業療法士が紹介されていました。
作業療法士とは、患者さんが社会のどこかで生き生きと生きるのを援助する仕事だと、私は理解しました。私は元々絵を描いたり物をつくることが好きなので、作業療法のものを作るところにも強く興味を引かれました。弟も歩行訓練をすれば歩けるようになり、学校にも行けるような気がしました。リハビリテーションの世界で、弟が生き生きと変わっていけるような気がしました。
これがきっかけとなり、私は養成校に入学しました。私の受けた教育は、医学モデルの色合いが強いものでした。骨をスケッチし、筋肉、神経の名前を覚え、疾患別の作業療法の知識、方法を学びました。知的好奇心で、がむしゃらに、専門職の知識を吸収し、難しい授業も実習も一応興味を持って参加しました。専門知識としては、何よりも筋力テスト、関節可動域テスト、日常生活動作訓練が印象に残っています。
一方、私の弟が地域の中で幸せに暮らすというイメージと作業療法がどのように結びつくのかは不明のままでした。私には何が作業療法なのかよくわかりませんでした。卒業式のパーティーで「作業療法とは何かを探しに行きます。ありがとうございました」と言ったことがはっきりと記憶に残っています。
私は、患者さんが生活しやすくなるように、生き生きするように手助けしようと病院勤務の作業療法士になりました。