後期教育の間、就寝中に何度か“金縛り”や“足引っ張り”に見舞われたことがある。自分が寝ぼけていただけなのか、日々の訓練や生活にストレスを感じたことが原因の軽い精神的障害だったのか、或いは大変古い隊舎だったので本当に心霊現象があったのか? それは定かでないものの、私の自衛隊生活の中でこんな体験をしたのはこの時期だけである。

現在の朝霞駐屯地は、かつて「キャンプ アサカ」とか「キャンプ ドレイク」という名称で使用された米軍基地の跡地にあり、朝鮮戦争時やベトナム戦争時には米軍将兵の遺体安置所としても使用されていたと聞く。なので心霊現象だと思ったのも、あながち間違いではなかったかもしれない。

後期の教育期間中、私にとっては個人的によい出来事があった。社会人入試で大学を受験し、合格したのである。前期で同じ営内班だったO2士との出会いと、彼に見せてもらった本がきっかけとなった。受験に際し、職場の上司による推薦文が必要だったが、それは前期教育時のN中隊長が書いて下さった。

100名以上もいる前期新隊員の一人に過ぎず、わずか3ヶ月間のみの教え子に他ならない私のために、本当にご丁寧で身に余る推薦文をN中隊長には書いて頂いた。そしてそのことを、尊敬する前期の区隊長と班長が後押しして下さっていたのである。区隊長も自衛隊で勤務しつつ、通信教育で大学を卒業された方であり、私の受験を気にかけて下さっていたらしい。また、後期の区隊長と班長、そして班付き(班長補佐役の陸士の助教)も、私の受験に協力して下さった。

試験日は後期教育開始直後で、まだ厳しい外出制限がある時期だったが、班付きが同行して下さることで外出の許可が下り、無事に受験できたのだった。そのような皆様のご協力のお陰で、私は積年の望みだった大学進学を自衛官になってから果たせた訳である。

(その翌年春から課業後は通学し、それなりに勉強をさせて頂いた。「私の素養が元々低い上に自衛隊勤務の傍ら……」ということもあり、8年間を要したものの無事に卒業できた。その間に私が所属した第31普通科連隊第1中隊と第1空挺団本部中隊の上官や先輩、同僚、そして後輩の皆様には、私が通学しやすいように様々に配慮して頂き本当にお世話になった。この場をお借りして、改めてお礼を申し上げたい)