大阪での単身赴任

銀行のATMをボーっと眺めながら、達郎は先週のシーンを回想していた。

そして、次に美里の裸体を想像した。胸、腰、脚、その描写は美里のからだ中全てに行き渡った。考えてみれば、一昨年の四月に大阪に来て以来、当初の目論み通り浮気を現実のものとして実行することができずにいた。

それまでの東京での六年間の結婚生活でも浮気をすることができなかった。結婚後二年間ぐらいは、他の女と寝ることにさしたる欲求はなかったが、年々欲求が高まっていた。

その頂点に達した頃の単身赴任だったので、まさに渡りに船だった。

ところが、その単身赴任生活もふたを開けてみれば、期待通りに物事が進まなかった。初めのうちの三ヵ月間は、新しい職場に慣れることに精一杯だった。

おまけに地域柄、東京弁を話すと相手が胸襟を開かないので、一日も早く関西弁を習得しようと躍起になっていた。東京なら、関西人はそのまま関西弁を話すくせに、こういう連中に限って、関西で東京弁を話すと、露骨に嫌な顔をするのであった。

下手でも良いから関西弁を話すことによって、取引先にはその努力の跡を評価されるのである。これにはずいぶんと気を使った。

一方、達郎の上司の部長と課長との人間関係にも気配りを怠れなかった。達郎の仕える部長の富山は、次には一応重役の席が待っているので、それを意識してか、本人の実力は別として、右往左往していた。

それまでの功績は達郎にも良くわからなかったが、社内での富山部長の評価は真っ二つに割れていた。ただ、悪い評価を下す人たちの傾向をみると、比較的仕事のできるタイプの社員で、新しいものにどんどん取り組んでいこうとする前向きの者に多かった。

これに対して、富山部長を良く評価する人種は、古いタイプの人間で、仕事のめり張りがつかず、夜は用もないのにだらだらと会社に居残り、挙げ句の果てには、缶ビールを買って来て、デスクで宴会を催すような輩が多かった。

こういう連中の先導役が富山部長だった。もう一つ富山部長には変わった経歴があった。それは以前新聞記者をしていたということだ。

十年前まで、某新聞社の社会部長をしていた。その時、社内の派閥抗争に破れ、閑職に追いやられそうになったところを、大学の先輩である現在の会社の副社長に拾われたということであった。

だから、営業部長とは名ばかりで、仕事ができず、むしろ社内の荷物になっていた。おまけに、アル中で、ぼけも始まっていたので、部下の間では"アル中ハイマー"と呼ばれていた。