大阪での単身赴任

男は、女を第一印象で好きになるものである。その意味で、その現象はネクタイを選ぶ時と同じである、と達郎は常々考えていた。

というのは、男がネクタイを選ぶ際、何十本という中のうちから、最初にぱっと見た瞬間、気に入ったものが一番良く、第一印象で気に入らなかったものは、いくら眺めていても、着用する気にはならないものである。男が女を好きになる時もこれと同じで、初めから好きでないタイプの女は、後から好きになることはほとんどなかった。

これに対して、女は若干違ってくる。女は男を好きになる時、最初は何とも思わなかったとか、初めはどちらかというと嫌いなタイプだったのに、後になって好きになることがよくある。最初の第一印象は悪いのに、後から男を好きになることがある。

達郎は美里を見た瞬間、こいつを抱きたい、と思った。三十過ぎの妻帯者であれば、自分の好みの若い女を見たら、そう思う者も少なくないだろう。

達郎は、初めのうちは、美里に対して、書類を持ってきてくれた時など、はい、ご苦労さんと言う程度で、視線も合わせずにあえて気があるような素振りは見せなかった。

だが、そのように対応していながらも、機会があったら夕食にでも誘ってやろうと考えていた。その機会というのは、つまり他の社員に気付かれない、二人っきりの状況になるということであった。ただ、せっかくその機会が訪れても、美里が好ましい反応を示さなければ駄目である。

つまり、好結果を得るには、達郎に対して好意を寄せていなければならない。課長や部長ぐらいになれば、図々しくもなるだろうが、まだ課長代理の達郎としては、誘いをかけて失敗して、その後の女子社員との気まずい状況を考えた場合、勝算のない勝負に討って出るわけにはいかなかった。

美里が達郎の所へ来るようになってから、一ヵ月が経過した頃、達郎は意識的に美里を見つめたり、笑顔で迎えたりした。ある時は、あらかじめ購入しておいたキャンディーを手渡したりして、美里の反応を見た。すると、美里の耳がほんのりと紅くなるのがわかった。

これなら、いけるかもしれない。達郎は即座にそう思った。それに、その頃を境にして、美里の化粧がいくぶん濃くなったような気がした。自分のために化粧を濃くしてきたのだ、と都合の良いように考えた。過信し過ぎとも思えたが、とりあえず、後はその機会を待つことにした。

それから待つこと一ヵ月、やっと先週その好機が訪れた。達郎が金曜日の三時頃、得意先を回るために、外出しようと一階に降りたら、売店で書類を抱えた美里が買物をしているのが見えた。達郎は、何も買うものがなかったが、売店に行き、とりあえずまだ読んでいなかった週刊誌を掴んだ。

この間、わざと美里には気がつかない振りをしていた。すると、こんにちは、と小さな声ではあったが、美里の方から話しかけてきた。達郎は、この時ぞとばかり、雑談をしかけた。

「いつも悪いねえ、書類届けてもらって」

「いいえ、私も机に座ってばかりいるので、ちょうどいいんです」

山梨出身とはいえ東京弁を話す達郎に対して、美里は言葉そのものは標準語を返したが、明らかに関西弁のイントネーションが残っていた。それが京都弁なのか、神戸弁なのか、あるいは河内弁なのか、達郎には判別できなかったが。

「こんな所で、買物しちゃって、さぼってるなあ……」

達郎は、悪戯っぽい眼差しを投げかけた。

「すいませーん、おなかがすいちゃって、皆で食べるお菓子を買っているんです」

美里は、若い娘特有の甘えるような声で言い訳をした。