実家の墓も過去帳もある寺
華やかで何やら哀しい法要
勝願寺 人形供養に参加して
義妹は日本舞踊(板東流)の名取である。彼女の幼馴染で親友の弥生ちゃんも、同じく名取である。
義妹は冬の日ひなた向のような人柄だが、軽妙できびきびした踊りを得意とするようだ。
一方、弥生ちゃんはたっぷりした踊りが似合うように見える。かつて二人は発表会で時々舞台に上がり、拍手喝采を浴びた。
こうした機会で知り合ったのが、弥生ちゃんの同級生で、愛称「おふじ」。
この三人は大層仲良しで、お芝居を観に行くことも、小旅行に出かけていることも聞いていた。
義妹に誘われてお正月の歌舞伎を観に行った折、おふじと親しく話をする機会があった。
おふじはお寺の大黒さん(僧侶の妻の俗称)と聞いていたので、「どちらのお寺ですか」と話しかけた。
「埼玉です」
「埼玉のどちらですか」
「鴻巣です」
「え、私の実家のお寺も鴻巣でした。勝願寺というお寺です」
「私の家、勝願寺です」
と、おふじは笑った。
「え、本当? 偶然ですね」。何という偶然だろう、と私は驚いてしまった。
「不思議なご縁ね。おふじのご主人はお婿さんよ」
と、弥生ちゃんが教えてくれた。
私がまだ四、五歳の頃、両親に連れられて行ったのが勝願寺だった。父は鴻巣の在、屈巣の出身と聞いていた。
当時すでに父方の祖父母はいなかったから、いずれかの法事だったのだろうか。大きな山門と白い敷石の上に黒い大きな蛇がいたことだけを、はっきりと覚えている。
お寺でいただいた五家宝も思い出した。私の家が戦災に遭って、栃木県の田舎町に疎開した。父はその地で若くして亡くなったため、母方の墓所に埋葬された。
その故か、勝願寺のことはすっかり忘れていた。戦後も東京に住んでいた父の長姉が、お墓を守っていたらしい。が、その伯母もとうにいない。