よくある反論に、「面会交流の時間を長くしたいのであれば、それが子どもの福祉に資することについて、家庭裁判所に対して主張すれば良いだけであって、親権のあり方とは何の関係もない」というものがありますが、これは全くもって的外れな指摘です。

非親権者が「子どもとの面会時間を長くしたい」と主張した場合、家庭裁判所が子どもに無理を強いていないか確認するため、「習いごと等との兼ね合いで問題はないか」といった観点から質問するのは、基本的に問題ありません。しかし、子どもに月1回2時間しか会えていない親が、面会交流を長くすることを求めると、「なぜ長くしたいのか」「なぜそれが子どものためになるのか」などと問い質され、説明責任が求められるというのは、それ自体が人権問題であり、端的に言ってあってはならないことです。

法律関係者ですら、これが人権問題であると分からない人が大勢いるというのが、この問題の根深さを示しています。

単独親権論者は、「法律上「親権者」でないからといって、「親」でなくなるわけではない」といった趣旨の主張を行っていますが、こうしたことが当然のように問われるということ自体が、事実上「親」として扱われていない差別構造を明確に表しています。

例えば、特に大きな問題がない普通の婚姻家族の親に対して、「あなたが子育てをしているのは、本当に子どものためになっているのですか」などと質問する人はいないでしょう。もしこのような人がいれば、「とんでもない失礼な人だ」と誰でも感じるでしょう。それにもかかわらず、「なぜ面会時間を長くしたいのですか」というのが人権問題であると感じられないとすれば、「人権」という概念について、理解が不十分であると言わざるを得ません。

さて、養育計画が裁判所に承認された後は、どういったことが起こるでしょうか。もちろん、具体的な制度設計の詳細については将来に委ねられていますが、大まかな方向性として、仮に一方の親が養育計画に従わず、子どもを他方の親に会わせることを拒否した場合、「養育計画の不履行」を理由に、親権停止の申立を可能とすることが考えられます。

そして、それが認められたにもかかわらず、なおも子どもを会わせない場合、今度はより強い強制力を持った法律を適用可能とすることが考えられます(「人身保護法」という既存の法律を適用することも考えられます)。いずれにせよ、実際にはそこまで大ごとになることは普通ありませんので、裁判所に承認された養育計画を、両親共にきちんと履行することになります。

結局、一方の親が子どもを身勝手に連れ去っても、事実上何の刑罰もないなどという、およそ21世紀の話とは思えない現実があるのは、少なくとも先進国では日本だけだということです。