だが、僕がそこの建物の入口の階段やエレベーターの辺りまで行ってみると、張り紙やらスプレーのペンキ等で何やら色々な落書きがしてあり、これでは美術の部室もどうなっているものか? と察して、僕は大学では油絵等は描けないと直感的に悟り、部室を訪問もせずに美術部入部を諦めたのだ。
それが、僕には本当に良かったのだ。当時大学の色々な機構は、先にも述べたように自治会という過激派の学生達によって運営されていた。
美術クラブに限らずクラブ等に入部すると、部の予算なども牛耳っている過激派の言う事を聞かねばならなくなり、挙句の果てには過激派の主催する政治集会に「普通」の部の人間が動員されて、場合によっては、警察の機動隊と激突し戦わなければならない羽目にもなると聞いた。
美術クラブに等には入らなくて、というより入る機会が失われて、僕には良かったのだった。というのは、もし美術クラブ等に入ってそれで政治集会などに参加させられて、機動隊と戦っていたならばどうなっていたかわからない。緊迫した現場を指揮する警視庁の元機動隊隊長に僕が聞いたところに依れば、凶悪な過激派学生運動の連中と対峙(たいじ)する時には、相手が角材などの凶器で喉元(のどもと)まで突いてくるので、機動隊としても、学生達のヘルメットを破(やぶ)れるほど強く樫(かし)の警棒等で叩いて、蹴散(けち)らす……という。クラブに入っただけで、一般の人間が……そんな目に遭うなんて、堪(たま)ったもんではない! 僕はクラブ活動等に入らなくて本当に良かった。