僕の作品は、どのような物か?といえば、校舎の4階の屋外の非常階段から、学校近くの街並みを俯瞰(ふかん)して見た構図の絵であった。その作品を埼玉県展に出品した。題名は忘れもしない、「街並み」とした。
然程(さほど)大きくもなく、平凡であると思っていた僕の作品は、高校1年生としてはただ一人、埼玉県展に入選してしまった。
埼玉県展に入選したのは、同じ高校では、他に3年生1人だった。僕は、4月に入学し、直ぐに6月の埼玉県展に入選したので嬉しかった。
しかし、その後クラブの役員に選出されて大変になるのだが……そして僕は一年、二年と過ぎ、先輩の三年生達が卒業する時には、小さい頃より画家志望で、学校に比較的近くに住んでいた同級生を部長に担いで、僕は美術部副部長になったのだ。
高校1年より「埼玉県美術展覧会」は連続で3年まで入選したが、賞は取れなかった。また高校の勉強の授業の方は全くだめで、卒業出来るか危ういほどだった。だが、高校3年の時には、全国規模で募集していた大学生・高校生対象の油絵のコンクールで、僕は「佳作賞」で特選になった。
そして、その作品は当時、大学生の作品等に混じって東京・上野の「東京都美術館」に展示された。特選だから、僕は、高校ではもう、何もやる事はなくなってしまった。
そして、ただ残るのは、美術大学の入学試験。それも国立の有名な東京台東区の上野恩賜公園内にある、東京藝術大学の美術学部・油絵学科、同じ美術部員達は大概、そこを目指していた。私立でも美術大学はあったのだけれど、僕も一応、東京藝術大学に進もうと思った。
しかし国立だから、実技重視とはいえ、僕は学業の方は全く犠牲(ぎせい)にしていたから、まず現役合格は無理だろうと思い、鼻から芸術系大学等も含めどこの大学も受験はせずに、如何したかというと、自宅に籠(こも)って、学業を一筋に、取り敢えず普通の大学に……何でもいいや大学に、と一浪合格を目指して、猛勉強を始めた。