イジメに耐えて外回り

天神橋筋6丁目。大阪では「天六」と呼ばれるこの地域に、僕は就職が決まった時に1Kのアパートを借りていた。部屋は大通りに面していて、この通りをまっすぐに南下すると北浜、自転車で15分ほど走るとI証券やK証券に着く。

ディーリング部にいたときは、朝8時頃、この通りを往来する人々の間をぬって自転車でゆっくり走っていた。8時20分までに着いて、お茶を入れて、取引の開始を自分のデスクで待てばよかった。しかし、投資戦略室では全く様子が違う。7時から新聞の読み合わせや自社商品などの勉強会があり、ギリギリに滑り込むと怒られるので、朝起きるのは5時半だ。おかげで毎日深夜過ぎまで飲み歩くことなどできなくなった。

通りに人もまばらな6時過ぎ、冬はまだ暗い中、眠い目をこすりながら自転車を飛ばす。

投資戦略室はK証券本店ビル、営業部フロア隅の狭い一室にある。会議室だった所を流用した薄暗い部屋の真ん中に大きなテーブルが一つだけ置かれていて、そこで自社の投資信託や債券の勉強をしたり、新規開拓のためのツールを作ったりする。個人の机も与えられない。

まず、この部署に配属されて一番にしたことは名刺入れと手さげ鞄を買いに行くことだった。ディーリング部では株取引しかしないので、僕は今まで名刺を持ったことがない。「名刺入れとカバンはマチの広いものにしろよ」と、課長に言われたが、僕は「マチ」の意味がわからず、細めのお洒落な名刺入れを買ってきて、「日本語がわからんのか」と、こっぴどく怒られた。新入社員みたいに名刺交換のやり方も練習した。

その次は住宅地図帳から自分が担当する地区のページをコピーして貼り合わせ、一枚の白地図を作る。

ここに訪問営業の結果を書き込んでいく。

9時になればそれぞれ担当地区に分かれて戸別訪問だ。

毎日、名刺と何種類もの投資信託のパンフレット、担当の都島区にある野江内代駅付近の白地図をマチの広いカバンにぎゅうぎゅうに詰め込み、担当地区の家々を1軒ずつ歩いて回る。一日100軒、一週間で駅から半径1キロメートルほどの担当地区を全て回り終える。毎週それを繰り返す。

まずは名刺を交換してもらい、相手の名刺を集めてくるのだが、住宅地ばかりで会社や商店が少ないと枚数が集まらない。それでも枚数が少ないとサボっていたと決めつけられてネチネチと怒られる。

相手先を訪問する時にもルールがある。インターホンを押すときは、どんなに暑くてもネクタイにスーツが必須だし、どんなに寒くてたとえ雪が降っていても、傘を差してはいけない。コートも手袋も脱いでおかなければならない。これが営業の基本というのだが、そんなことが営業成績に影響するとは思えなかった。実際の訪問の時の格好なんてわかりっこないと思っていたら、ある日外回りから帰ると、課長が僕の鼻先に携帯電話の画面を突き出してきた。

「やましたっ! お前は言われたことも守れないのか⁉︎」

そこにはコートを着て手袋をしたままで資料を渡している僕の姿が写っている。部長と課長が交代で、メンバーの後をつけてサボっていないか監視していたのだ。

「お前は小学生以下やな! そんな態度では一生使い物にならんな」

「お前みたいな使えんやつに、こっちは給料払って教育してやってるんだ!」

外回りで歩き疲れて帰ってきた後、毎日延々と陰湿な説教が続く。これは指導なんかじゃない。ただのイジメだ。そう思っても、どこにも訴えることはできない。ただ耐えるしかない。