日本人の死生観を考える

死生観とは、生きることと死ぬことに対する考え方のことです。

誰にでも死は訪れるものですが、死後の世界は未知の世界でもあります。そのため、人の死に対する考え方や価値観などは個人で異なります。死について考えるきっかけも、人それぞれです。

例えば、身近な人が亡くなったり、事故や病気で生死の境をさまようような体験をしたりして、死について考えることもあるでしょう。

海外の場合は、死生観について宗教から影響を受ける人が多く見られます。キリスト教や仏教など何かしらの宗教を信仰している人が多く、宗教では死や死後の世界について教えが説かれているからです。

信教の自由がある日本では特定の宗教を信仰しない「無宗教」の人も多く、ほとんどの人が死生観に宗教の影響を受けにくいといえます。

近年では、自分の死に備えて活動する「終活(しゅうかつ)」を行う人も見られますが、日々診療を行っていますと、日本には、死をタブー視するような考え方が根強くあるように感じられます。

また、それ以前に、死というものを日常的に考えないようにしているのではないかと思われる方が数多くいます。

例えば、90歳以上の超高齢者で認知症もあり、寝たきり状態のような方が「誤嚥(ごえん)性肺炎」や「心不全」などで入院された場合、「病状の改善が乏しく、心肺停止した場合、心臓マッサージや人工呼吸器の装着などの延命措置を希望されますか?」とご家族に確認すると、「まだ、そこ(死亡や延命について)まで考えていませんでした。すぐには答えられません」と言われる方も多数いらっしゃいます。

そういう曖昧な状況で、本当に心肺停止になると、私たち医療者は「人の命を救う」のが仕事ですから、コード・ブルー(容体が急変し、緊急での蘇生が必要な患者が発生したという意味の、医師・看護師の間で使用される隠語)の扱いとなり、当然のごとく心臓マッサージや人工呼吸器の装着が行われます。

心臓マッサージに伴い肋骨は折れ、気管内には大きな管が挿入され、あちこちに点滴がつながれ、数時間後には死亡するというパターンです。

このような亡くなり方は、ご本人にとって幸せといえるでしょうか? 私には到底そのように見えません。自然経過の中で死を迎えるというのが、一番あるべき姿ではないかと思います。

私はNHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』(2019年6月2日放送)という番組を視聴しました。その番組は、安楽死を選択した一人の日本人女性のドキュメンタリーでした。

その女性は重い神経難病である多系統萎縮症を患う51歳の女性・小島ミナさんという方で、自分らしさを保ったまま亡くなりたいと2018年11月、安楽死を選びました。日本では死期を早める安楽死は認められておらず、スイスに向かう日本人が出始めているようです。

スイスでは安楽死が容認されており、死の在り方を選ぶのは個人の権利だという考え方が広く受け入れられています。ミナさんは、全身に激しい痛みが襲いかかる神経難病を患い、薬で症状を抑えているものの、体の機能が奪われていく日々が続いていました。

ミナさんは、「天井を見て、時々食事を与えられ、オムツを替えられ、それでも生きていたいと思うのか?」と自問自答しました。そして出した結論が「私が私であるうちに安楽死を施してほしい」というものでした。

大学卒業後、韓国語の通訳などで活躍してきたミナさん。48歳で多系統萎縮症と診断されます。そして、病状が悪化した2017年3月、病院で人工呼吸器を着けた患者さんの姿を目の当たりにします。自分の将来の姿だと絶望し、その後、自殺未遂を繰り返すようになったとのことでした。

そのような中、ミナさんが連絡をとったのがスイスの安楽死団体でした。安楽死を選択したミナさんに向き合ったのが彼女の姉妹であり、安楽死を受け入れていいのかどうかの苦悩は最後の最後まで続きました。