新聞に載ってから知った私が、なんで黙っていたのと聞いてみたところ、父は「また文句言うだろ、お前ら」と言いました。さらになんで再建しようと思ったのか尋ねると、父は次のように答えました。

「俺が丹生郡森林組合長をしている時、山で亡くなった作業員もいたんだ。今でもその人たちは忘れん。その人たちを弔いたかったんや」

父は勲六等をもらいましたが、その当時、父は自分の功績からすると勲四等はもらえると豪語し、「いらない、あんなものはいらない」と言いつつ期待していたようで、少しショックを受けていました。私はそんな父に、勲一等を差し上げたい気持ちです。

政府はプロパガンダで、福井県知事に2009年にベスト・ファーザー「イエローリボン賞」を与えていますが、本当は私の父のような人に与えるべきです(親バカでなく子バカ)。

白駒妃登美さんがご自身の著書の中で福井の人を「ザ・日本人」と書いてくれていますが、まさしく父はそう言われるに相応しいと思います(これには多少皮肉もあります。その分母は苦労したので)。

話は変わりますが、開業してからは大雪が降ると朝早くから父が来てくれて、よく広い駐車場を母と3人で雪かきしました。これも、少しでもお金がかからないようにという親心だったと思います。また今は規制が厳しくなったのでできませんが、以前は医院で出たペーパーなどのごみは、溜まると織田に持って帰って燃やしてくれていました。これのおかげで、どれだけの時間とお金が節約できたかわかりません。

こんな父ですから、私が小さい頃は、五月になると大きな竹をとってきて大きなこいのぼりをあげてくれました。ちなみに父はお酒が好きですが、2人だけでお酒を飲んだことはありません。

父は自分の友達に、私が開業したことをあまり言っていません。それでも父にお世話になったからと治療に来てくれたり、野菜をくれたりする人がたくさんいます。

また、父の知り合いで治療を受けに来る人の中には自費になる人も多く、そういった面でも助かりました。これも父の人望のおかげでしょうか。

この間、父が体調を悪くして入院し何日間か寝込んだことがありました。病院からはその後のリハビリを強調され、私のところの施設長も、90歳近いのだから1週間も寝込めばリハビリが必要と考え態勢を整えていました。ところが、もうだめではとまで言われていた父の復活は早く、次の日からは普通に過ごしていました。そのことを林業に携わっている同級生に言うと、なんとこんな言葉が返ってきました。

「あの男は普通に思ったらいかん。あのおっつあ(おやじ)は、ばけもんやで」

父のこれまでのことを書くと活動的で豪放的な人に思われそうですが、実はシャイで人見知りなタイプです。ほかにも人情味溢れるエピソードがありますが、「おやじの自叙伝」という題名にしなければならなくなるのでこれくらいにします。