父親について

尊敬する父のことをまとめて書こうと思います。

母ももちろん尊敬していますが、私がここまで父のことを強調するのには理由があります。

私自身は、本当はあまり自覚していなかったのですが、父を心の中で追っていたと思うからです。もう90歳になろうとする父ですが、その生き方をとても尊敬しています。

父と遊んだという記憶はあまりありませんが、一緒に旅行した記憶の中で一番覚えているのは、私が小学校3、4年くらいの時のことです。家族と母のお友達で親しくしていた家族と一緒に、立山を登山も兼ねて旅行したことが一番の思い出です。

母の友人のおばさんはとても心の優しいきれいな人で、父も私もとても好きでしたが、その数年後に亡くなりました。そのおばさんのことで、小さい頃に私自身が傷ついた出来事があります。

それは、家族が旅行に行った時のお土産かなにかで家にういろうが置いてあったのですが、家に遊びに来てくれていたおばさんが帰る際に、母が「このお土産待って帰って」と言って渡そうとした時のことです。

自分からおばさんに渡そうと、私が母からお土産を取ったら母は勘違いしたらしく、「なんてあんたいやらしいの」と言われてしまいました。

自分の立場がなくなり、みじめな気持ちになりました。その時一番悲しかったのは、きっと好きなおばさんも勘違いしただろうと思われたことです。

今思えば本当に小さなことですが、今でも少し心の傷になっています。人の心を慮るのは難しいことだなと思いますが、亡くなったおばさんはきっと、あの世で私のあの時の気持ちをわかってくれたと思っています。

話はそれましたが、家族で大々的に旅行したのはその立山の時くらいで、あとは父が名古屋にアパートを経営していたので、名古屋は何回か行きました。また、私の友達も何人か泊まりがけで連れて行ってくれたことがあります。

「私の紹介」でも述べたとおり、父の夢は先生になることでしたが、長男で農家の息子だったのでそれはかないませんでした。

叔母さんから聞いた話ですが、戦時中や戦後は農家なのでお金がないため父は遅い時間まで外に働きに出ていて、その後帰ってから夜遅くまで勉強していたそうです。

昔のことは言いたくないのか、それとも別に普通の気持ちなのか、父自身から戦中戦後のことはあまり聞いたことがありません。

しかし、

「昔はビールやバナナを思いっきり飲み食いしたいと思ったことがあったけど、今ではこれを現実にできるようになった」

としみじみ言っているのを聞いたことがあります。

私がまだ小さい時、たまに「なっちゃん」という人が私の家を訪ねてくることがありました。