ALS協会設立総会
進行しないと言われたのに、善一さんの脚力はどんどん落ちていく。
私は長崎大学医学部の図書館に行き、SPMAについて調べてみた。
脊髄性筋萎縮症という日本名だった。
調べていて、私は凍り付いた。よく似た症状のALSという病気は、病気の進行がはやく、予後2年、とある。善一さんの病気は進行している。
ひょっとしてSPMAじゃなくALSなの? そしたら予後2年? あと2年しか生きられない? そんなばかな。足は多少弱っているが、元気で食欲もある。仕事にも出かけている。大丈夫。自分に言い聞かせた。
しかし、残酷にも、予後2年は正確に現実のものとなった。
後から考えると、善一さんの病気はやはりALS(筋萎縮性側索硬化症)だったのだろうと思う。
少しでも家族の不安を抑えるためにSPMAと診断されたが、病状の進行具合を見ると、間違いなくALSだ。
しかし、そのときは、まだALSでなくてよかった、という思いでいた。
難病であるので、治療薬はない。大学病院で薬を無償でもらえるが、病気を治す薬ではない。
ALS患者であるNB先生の本を読み、玄米に興味を持った。
日本ALS協会というのが立ち上がり、東京で設立総会があると知り、創立者のMAさんに手紙を出し、二人で出かけた。娘は、島原の義父母にお願いした。
ALS協会設立総会には、たくさんのALS患者が車椅子やストレッチャーで参加していた。息をのんだ。
いろんな人と話をしたが、あなたは症状が軽くていいですね、と言う人はいない。みんな、病状が進行することを知っているのだ。そして、進行するはずがないと盲信しているのは私たちだけだったのだ、今思えば。
「大変な人がたくさんいるね」「僕たちはこれくらいで、まだよかったね」そんな会話をしていたのだから。