この事例では、K子に「(次の授業を)欠席します」と告げられた時の態度や、S男に「僕はどうでしたか?」と聞かれた時の応答に、私自身の問題を感じずにはいられない。島しょ地区の小規模校であり、その地域性が反映され、水泳指導には力が入れられてきた。また、村の一貫教育推進校に指定され、小学校や高校との連携にも力が入れられており、中学校としての体育科教育の質の向上が問われていた。
そうした私の体育教師としての技量、力量が試される中、一方では、運動が不得意な生徒の底上げと、また一方では、運動が得意な生徒のできうる限りの引き上げとが求められていた。水泳指導の中心には4泳法を泳げるようにし、100m個人メドレーを泳ぎ切れるようにすることがあった。そして、運動が不得意な生徒の底上げの指標として、シーズンを通して通算1万メートル以上泳ぐことがノルマとなっていた。
一方では、運動が得意な生徒の引き上げの指標として、この中学校における各種目の歴代記録10傑に名を連ねることがあった。どちらもそう難しいことではなかったが、私自身の指導力が試されていることを強く感じられていたためか、少なからずプレッシャーになっていたことも確かだった。K子、S男は運動の不得意な生徒であり、R男は運動の得意な生徒だった。泳いだ距離が思うように伸びていなかったK子の「欠席します」の申し出に対して、少なからず動揺したことは間違いがない。
そのリアクションや視線と、その後の泳ぐことを促す声掛けを受けてのK子の様子からは、よほど泳ぐことを強いられた強迫観念のようなものがあったと推察される。さらに、S男が自身の記録を気にしたり、そもそも100メートルをクロールで泳ぎ切ったことだけでも賞賛するに値するような生徒だが、歴代記録を意識するあまり、歴代4位を叩き出したR男にばかり意識が行き過ぎてしまい、歴代記録にはほど遠いS男の「僕はどうでしたか?」に一瞬戸惑いを覚え、ぎこちない受け答えになってしまったのだろう。
ただ一点に意識を奪われ、平常心を失っていたと言える。無論、ここにはさまざまな問題が見え隠れしているが、あえて私自身の技量、力量という一面に焦点を絞って論じてみたい。一つには、泳げない生徒を泳げるようにし、泳げる生徒をより速く、より長く泳げるようにするという〈技〉の問題である。