兄嫁は部屋の隅の方でしゃがんだ姿勢で頭を垂れ、
「克彦さん、ごめんね、ごめんね」
と言いながら畳に目を落としていた。このことが起こった発端は、兄嫁がこれまでの自分のあり様を見て長兄に訴えたのかもしれないと咄嗟に思った。
兄嫁にしてみれば夜には友達が来てその面倒を見たり、倹約しなければならないときに高価なオーディオで楽しんでいたりしていた自分のことが目に余ったのかもしれない。
怪我をしてから二年近く経ったある日、ケースワーカーが病室に来てくれた。これから先どうするかという話であった。
とにかくこの体では何もできないが、できることがあれば何でもしたいと自分の気持ちを話した。ボルト一つでも締める仕事があればやってみたい。偽らざる気持ちだった。再び病室にケースワーカーが足を運んでくれたときのことだ。
「伊庭君にもできるかもしれない」
「ほんとですか、どんな仕事ですか」
「『言語療法』といってリハビリの一部門でね……」
丁寧に説明してくれたのは病気や事故で言葉に障害を負った人たちに訓練や治療を行う仕事で、日本ではまだ殆ど知られておらず、国家資格もないことから誰でもできる職種であるということだった。
「なんかどきどきするような話だけど、俺になんかできるかな」
覇気のない小さな声で喋っていた。手も足も利かない体のことはもちろんだが、能力もいるような気がして自信がなかった。
「今度先生に会ってみる?」
「それではお願いします。でもほんとにできるかなー」
それから二週間ほどして一人の先生に会わせてもらった。
「はじめまして、伊庭です」
「どうも、津久田です」
緊張して喉の乾くのがすぐさま分かった。眉と目の間が狭い強面の人だった。眼光鋭い威圧的な視線を真上から受けてさらに体が硬くなった。
「伊庭君、そんなに緊張しなくていいのよ。この先生、見た目が怖そうだけど面倒見はいい先生なのよ」
ケースワーカーの関口先生は、すくんでいる姿を見て咄嗟にその場を和らげる言葉を発してくれた。その後三十分ほど先生から勉強や仕事の内容について説明を受けた。
最後に勉強はそれほど簡単ではないことと、もしやるのであれば一年間英語の勉強をしてほしいと少し強めの口調で告げられた。その夜、津久田先生が話してくれた内容を二度三度と確かめ、同時に会わせてくれた関口先生にも感謝していた。
もしかしたら生活できるまではいかなくとも、生きる意欲が得られるかもしれない。
そういえば話の中で、関口先生はW大学の政治経済学部出の人で顔に似合わない女傑だといわれていた。