家族の役割

病院医療と違い在宅医療では、介護者への援助が患者へのそれ以上に大切になることがあります。

患者が自宅で療養するためには、それを誰かが支えねばなりません。在宅医療では医療の前に生活が確立しなければ、まともなサポートはできません。

多くの場合、介護の主役は家族ということになりますが、高度の認知症で自分のことが決められない患者の場合、家族にはさらに「方針の決定」という大きな重責が課されます。

今回のUさんはHさんに代わって胃瘻造設の決断をしました。幸いUさんはHさんの将来を真剣に考えて、自分がHさんの運命を握っているという強い信念に基づいて決断してくれました。

しかし、在宅医療に長年携わっていると、このような家族とばかり出会うわけではありません。胃瘻を造るということの深い意味を吟味することもなく、自分の頭で考えることもなく、医療者に言われるままに胃瘻を造ってしまうというケースにも出会います。

逃げることなく「本人に代わって方針を決定する」ということは、家族に大きな負担を強いることになりますが、家族にこの責任の重みを説明し、その重要性を理解してもらうことは、私たち在宅医療に携わる者の努めだと考えます。

家族の言葉を錦の御旗の如く振りかざし、盲目的に従うのではなく、本当に真剣に考えた末の言葉なのかチェックすべきだと思います。場合によっては、家族と一緒になって悩むこともあるかもしれません。

確かに家族ではない私たちが意見を差し挟むことはできませんが、その決断のサポートには最大限努力すべきです。

準家族になる

もし自分が「準家族(家族ではなくその決定に加わることはできないけれど、まったくの他人でもない)……」のような存在であれたらいいのになあ、と思うことがあります。

医療に少し知識があり、気軽にアドバイスが聞ける近所の親友……、こんな感じの存在に憧れます。また、家族で決断したことであっても、家族それぞれのとらえ方は微妙に違っていることも忘れてはならないことだと思います。

どんな決断をしたとしても、まったく後悔がないという選択はありませんが、「一緒にあれだけ悩んだんだから、あれでよかったんですよ……」と家族に言ってあげられる、準家族でありたいと願っています。

Iさん八〇歳 淡々の達人 年をとったので楽にしたい。あとは死ぬだけ……。

事前の情報ではIさんは医者の前ではあまりしゃべらないとのことでしたが、初診時のIさんは多弁でした。今まで通っていた病院では世間話をしないので楽しくなかったけれど、ここでは何でも聞いてくれて楽しいとのことでした。

ただ、話し好きの人が話し出してどうにも止まらなくなったというのではなく、自分のことをとつとつと静かに語るという感じでした。

肺がん手術の後遺症で反回神経麻痺があり、声がかすれていましたが、ぽつりぽつりと多くを語ってくれました。毛髪がないので帽子は脱ぎたくない。