そういう意味では「ストーリーに対する誠実さ」を備えた映画とも言える。
さらにタイムズスクエアの電光掲示板からヒントを得たという画面に時刻を表示してニュース速報のように見せる技法や、細かいカット割りなど、新しい映画の描き方が駆使されている。
作品全体を貫く明るさや賑やかさに隠れてはいるが、ジーンが長年考え続けた映画でミュージカルを描ききるという課題への回答が随所にちりばめられている。
撮影された“オン・ザ・タウン”のナンバーを見たアーサー・フリードは次のようなメモをジーンとドーネンに書いている。
「“オン・ザ・タウン”のナンバーを見たばかりだ。すごいよ。私がこの仕事を始めてから、こんなにわくわくしたのは初めてだ。プレスバーガーとパウエルでも君の靴を磨けないよ―赤い靴だろうが、白や青だろうが。
君たちを誇りに思うプロデューサーより(30)」
文中、プレスバーガーとパウエルというのは、英国映画「赤い靴」(‚48)を製作、監督したエメリック・プレスバーガーとマイケル・パウエルのことである。
クラシック・バレエを題材にした同作は、米国では四十八年十月に公開され、観客からも批評家からも絶賛されたが、とりわけ劇中十五分間ほど続くバレエシーンは大変な評判を呼んだ。
ジーンがこれに刺激を受け、この後「巴里のアメリカ人」の最後に十七分間のバレエを振付けたことは有名だが、四十九年三月に撮影が始まった「踊る大紐育」でも関係者が「赤い靴」を意識していたことがこのメモからわかる。
一九四九年七月に撮影の終了した「踊る大紐育」はその年の十二月に公開されると、観客からも批評家からも絶賛され、大ヒットを記録した。
公開当日の新聞は、ニューヨークのラジオ・シティ・ミュージック・ホールに集まった観客の列が二列で七ブロックも続き、新記録だったと伝えている。