聡子が帰っていった後、さっきまでの病室とは空気が違っていた。楽しい会話やその時々に見せるお互いの笑顔はなく、静かな一室となっていた。
彼女が戻ってから二時間ほど経つであろうか、今頃電車の中で何を考えているのだろうか。大月を過ぎたあたりであろうか、それとも八王子の近くまで行っているのだろうか。
毎回来てくれるたびに少しずつ回復なっていれば彼女の心も多少なりとも救われる気持ちにもなれるだろうが、現実には手足の動きは殆ど変化が見られていない。
明るく振舞う自分に対応してくれるが、この時間闇を走る電車の中では何を想っているのだろうか。アパートに着いて食事をしなければならない、朝早くには職場へ足を運ばなければならない。
貧血で治療を受けていた白い聡子の顔が目を閉じてからなお優しい表情とともに映り続けていた。夜もまた眠れない日が続いていた。
その頃、同じ病棟にいた井上君と石田君が部屋に来るようになっていた。井上君は音楽に凝ってチューナーとヘッドホンを抱えて、映画のサウンドトラック盤やフォークソングなどを、解説を交えて聴かせてくれた。
ヘッドホンで聴く音はイヤホンと異なり、音の高低や奥行き、さらに響きまでもがそれまで聴いたことのないような音色で、すぐに夢中になった。
半月もしないうちに中古のチューナーとヘッドホンを井上君からもらい受け、彼の勧めるメーカーのテープデッキを購入した。それからというもの、夜になるとヘッドホンを耳に当てた。
苦しみから逃げるように音楽を聴き続けた。ジャズ、ポピュラー、クラシック、フォークなど日替わりで没頭することができた。最初はビートルズや、サイモンとガーファンクルに耳を傾けたが、少しずつジャズが好きになっていった。
ミルト・ジャクソンやオスカー・ピーターソンのピアノ、レイ・ブラウンのベース、マイルス・デービスのトランペット、コールマン・ホーキンスのサックスなど、ベースのずっしりとした重量感や乾いたトランペットの澄んだ響きが、束の間ではあったが胸を弾ませた。
またナンシー・ウィルソンやダイアナ・ロスといった黒人女性の歌にも惹かれていった。スローなテンポで演奏が展開し複数の楽器の音色が重なり合うとき、あたかも葬送曲のように感じられることも少なくなかった。
それは寂しいというよりも心が緩やかになって楽になれるような気がした。
クラシックは全くと言っていいほど聴いたことはなかったが、ときに引き込まれるような演奏で耳を傾けた。もちろん指揮者の名前や曲名は殆ど知らなかった。
夜になると毎日のように流していた涙は、二日に一度、三日に一度と間隔が空くようになっていった。