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認知論  人は、自分流のモノサシで物事を判断する

認知論では、人間は、意味を求める動物で意味づけの世界(意味の領域)に生きていると考えます。アドラーは、「意味は状況によって決定されるのではない、われわれが状況に与える意味によって、自らを決定するのである。」(『人生の意味の心理学』(上))と述べています。つまり、自分の人生は、経験に与える意味によって決定します。

アドラーは、「われわれは、状況をそれ自体として経験することはない。いつも人間にとって意味があるものだけを経験するのである。われわれの経験は、その根源において既に、人間的な目的によって規定されている。」(同書)と述べているように、意味のある経験は、自分の目的に規定されますので、筆者は、目的論的認知論と捉えています。

認知論では、物事に対する客観的な事実よりも、事実への個人の主観的な認知を重視します。同じ出来事を経験しても、人それぞれの感じ方や受け止め方をするということ(意味づけをするということ)です。

 

例を挙げて説明しましょう。朝から雨が降ったとします。ある人は、いやな(暗い)気分になって落ち込んだり、ある人は、今日は、部活動が中止になって早く帰れると喜んだり、ある人は、庭の水をあげる手間が省けて喜んだりと十人十色の受け止め方をします。

この例をイメージしやすいように図解して説明しましょう。大きな透明なタンクに水が貯蔵されています。これを様々な色のついた形の違う容器に入れ替えたとします。その結果透明な水が、色のついた様々な形と色に見えます。様々な容器への形変えや色づけ作業が「認知」することです。認知とは、人それぞれの物の見方(意味づけ、解釈)です(図4)。