母親が山岳隊に向かって、いや、朗子に向かってもう一度口を開いた。

「私、きつね温泉跡近くの左衛門小屋が、どうしても気になるんです。今日、行けなかったので……」

坂崎はまた渋い顔をしている。

「岬さん、お気持ちはわかりますが、最初の日に左衛門小屋は見ています」

「いいですよ。行きますよ。それに、まだ行ってないところ、ありますしね」

坂崎が驚いた顔をする。すると地図を広げて山岳隊の仲間がいくつかの箇所を指差した。

「え? こんなところ? 行けるんですか?」

山岳隊の他のメンバーが全員うなずく。

「じゃあ、俺も左衛門小屋に行くよ」

次男さんが言った。「俺も」と長男さんが続いたが、母親が「やめてくれ」と止めた。

よくわかっている。長男さんは今日で限界だろう。あと一日、何らかの手がかりがあるといいが。集合は明日、七月一日(日)七時。まだ遭難者の車が停まったままの鬼塚となった。

「今さらだけど……」

家族と話す母親の声が聞こえてきた。

「今日、おとうさんと気づいたんだけど、毘紐天出発って登山計画書にあったから、今日までこの鬼塚が、毘紐天と信じていたわ」

武蔵警察署 地域課 坂崎

神宮武蔵山脈のほとんどを管轄としている武蔵警察署。坂崎はその地域課の責任者である。

地域の事を守る地域課は、実際のところ、武蔵山脈での安全を守ることが大半の仕事となっていた。さらに今年に入って遭難が多く、次々と春から半年で十四人が遭難。そのうち、四人が亡くなっていた。

あれは初夏の事だった。あの時期は遭難が続き、さらに県警のヘリコプターが修理中で、捜索の三日間出羽県警に要請した。修理が済んだのはちょうど捜索が終わった三日目。

だが、神宮県警のヘリが一度も飛んでないことと、火口の周辺だけ雲があったことで、四日目の土曜日と五日目の日曜日、ヘリコプターだけ飛ぶ予定だった。

しかし、実際は警察数名と、山岳捜索隊が両日十人以上参加することになった。あきらめきれない家族の要請で。