「規範違反説」は、結果ではなく将来の損害可能性の低減に向けた働きかけという側面があることから、リスクマネジメントの概念との高い親和性を備えているとも言えるでしょう。

さて、近年日本では「事件・事故・犯罪の再発防止のための規制新設・強化と広範囲化」、「規制やルールの運用の厳格化と違反者への厳罰化」など「規範違反説」側のより一層の強化を要求するメディアや有識者の声がますます大きくなっていましたが、コロナ禍は状況をさらに推し進めています。行動だけでなく、体温、脈拍、そして抗体の有無まで国家が監視する「マイノリティ・レポート」的な全体主義世界が現出しそうです。

独裁的な社会運営をしている国の方が、コロナウィルスによる感染拡大に成功しているように見えるのは、当然のことかもしれません。本能的に独裁を求める声が高まり、民主的な社会運営が非難される時代が近づいているようです。

私たちがウィルス監視社会を回避するために、本書の冒頭に引用したP・Fドラッカーの言葉、

「自立した組織をして高度の成果をあげさせることが、自由と尊厳を守る唯一の方法である。その組織に成果をあげさせるものがマネジメントであり、マネジメントの力である。成果をあげる責任あるマネジメントこそ全体主義に代わるものであり、われわれを全体主義から守る唯一の手だてである。」

を胸に刻むべきだと私は考えています。

それは、英雄的な個人の頑張りや、一人ひとりの心がけなどとは別次元の行動原理であり、感動的な逸話やニュース・バリューとは無縁です。恐怖に対する本能的な反射行動を制御し、リスクのマネジメントに置き換えていく、一見地味で、難しい行動を選択していく必要があるのです。