DPワールドはP&Oの港湾事業を2006年2月の終わりに取得する手続きに入ったが、政治的失敗に直面したため、直ちに異議のあったアメリカ港湾事業を適切な事業主に売却することに同意した。その同意が得られると、下院はその取引を無効にする動きを停止した。
2006年12月DPワールドはアメリカ港湾事業をアメリカ保険大手のAIGグループに売却することで約束を果たした。この失敗はCFIUSとホワイトハウスにとってきまりの悪い大事件だった。国家の安全保障を考えると、この取引を支持した者は誰もが正しく行動した。アメリカ沿岸警備隊情報部はリスクを評価し、DPワールドは譲歩案を提示した。アメリカは港湾が安全に操業できることを保証するのに必要なすべての監視体制と透明性を確保することになる。
他の地域での、ドバイの協力によるインテリジェンスの大きなメリットは注目に値する。それでもCFIUSは外部でどう受け取られるかということについての盲点があることを露呈してしまった。国家の安全に関わる共同体内部で、将来屈辱を避ける必要があるという警告音が鳴り渡ったのである。
その対応として、諜報共同体は陸軍士官学校で高く称賛され、ハーバード大学卒の、ベトナムから湾岸戦争までの実戦経験を持つジョン・R・ランドリー少将に目を向けた。ランドリー少将はアメリカ合衆国国家情報長官(NIO)で軍事に関わり、この職に1993年から2013年の退役まで就いていた。NIOの軍事職は国家情報会議に報告する軍事関係の評価を託された最上級の情報長官である。
ランドリー少将はCFIUSのダメージコントロールのために選ばれたわけではなかった。と言うのは彼の専門は軍事であり、経済ではなかったのだ。それでも彼はたぐいまれな特質を持っていた。ラングリーでは彼は馬鹿げたことは容認しない「できる」長官として知られていた。ランドリーはお役所的な面倒な手続きを省き、官僚よりもずっと迅速に重要な仕事をやり遂げた。CFIUSは緊急に立て直しが求められており、ランドリーはそれを率先するのに理想的な選択だった。
2006年5月ドバイポート事件の大騒ぎの数週間後、CIAのコンタクトの一人が至急ランドリー少将に面会できないかと頼んできた。
私は了解し、数日中に本部へ向かうよう調整した。着くなりランドリー少将の部屋へ通された。彼は背は低いが逞しくハンサムなタフガイという感じで、白髪交じりで無愛想、闘う将軍というイメージから浮かぶブルドッグタイプの物腰だった。ランドリーはズバリ切り出した。
「ジム、我々はドバイポートの件で火の嵐をくぐってきた。我々が気づかず無防備なことがないよう、君に専門家チームをリクルートして組織化してもらいたい。あの事件でインテリジェンスは良くやってくれたんだが、我々としては部外者、それも、現実世界の大局が読める人材が必要なんだ。そこが補強できれば、政治的地雷を事前に察知できる。我々はこの件でウォールストリートの役割を期待しているんだ。我々と一緒になってチームを組んでくれないか?」