この頃は夫婦で教職に就いている場合は、伴侶の在外派遣に伴って任地へ赴くとき、伴われる方は、退職しなければならなかった。よう子は幼い子供を保育園に預けて、教員として頑張ってきた。
夫久雄は誠実な先輩教員で、子育てと家事を分担して協力してやってきていた。瀟洒なテラスハウスは賃貸で、いずれは一戸建ての新築を買おうという夢もあった。
夫の平田久雄が
「海外の日本人学校へ行ってみないか?」
と言い出したときは、
「え、そんな制度があるの? どこの国?」
と聞きながら、よう子はヨーロッパあたりの素敵な町で暮らせるならそれも良さそうだと、安易に考えていた。仕事はきつくは無いが、夫からの提案で仕方なく仕事を辞めてついていく、というのもこれまでの自分の歩んだ道とは全く異なることが面白く、周囲の反応を見るのも楽しみだった。
そして初めての異国での主婦生活への憧れが夢のように広がっていった。よう子は、久雄とあまり話し合うことも無く、夫が在外教育施設派遣へ応募しているのを黙認していた。
その日、冬休み中の日直で出勤していた久雄に、内示の電話が入った。「デリー、インドです。派遣決定おめでとう」そのあとの言葉を全く覚えていない。その瞬間久雄は頭を木槌で不意打ちされたような衝撃をうけた。
まだ幼い子供と、教師としての仕事を誇りにしている妻を連れて、インドへ派遣。その通知は愚かにも全く予測をしていない内容だったのだ。
妻にはなんと話そう……そのことだけで強い頭痛に襲われるようであった。