第2章­ 人材育成の実際:労働問題の事例1

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【発端】

デリー近郊にある某社で2005年に起きた労働争議である。

同社は、2001年5月の生産開始以来、労使協議会で労使の対話を図ってきたが、2004年末頃から組合結成の要求が起こり、2005年2月にAITUCを上部団体とする組合登録の申請がなされた(2005年5月認可)。

【ストの内容】

2005年4月、会社経営側は4名の組合幹部を解雇、さらに問題行動のある50名を停職処分に付した。この解雇と停職処分の撤回を求めてストライキが行使され、約1000名の労働者がグルガオン市内の公園でデモを行い警察と衝突。約700名が負傷し、約60名が逮捕された。

企業の施設内でのデモではなかったので、生産設備には影響はなかった。さらに組合は、地場同業者と同じ賃金を求めたのに対して、経営側が拒否したため再びストが発生。ハリヤナ州長官の仲介によって、30%の賃上げを経営側が容認して紛争が収まった。

ところが、6月27日に経営側がロックアウトを宣言し、「生産を阻害しないという善行誓約書」に署名する者だけを職場復帰させた。

これに反発した組合はロックアウトの違法性を主張し、解雇や停職処分の撤回を要求。労働争議法上の調整機関(労働局)では解決に至らず、ソニア・ガンジー国民会議派総裁、シン首相、ハリヤナ州長官の仲介を得て合意がなされて解決した。

この争議に関して、当時の駐インド大使が「海外からの直接投資にとってマイナスであり、日本のビジネスにとってもマイナスである」として注意を喚起した。

【その後】

2009年6月から、再び同社で賃上げをめぐる紛争がおきた。8月から組合が怠業を実行し、生産を通常の半分近くにまで低下させた。10月になって、3ヵ月に及んだ争議が賃金協定の締結によって終了した。

それまで月2900INRであった最低給与が、4400INRにまで上がった。さらに正規労働者には業績連動型賞与が加わり、製品1個が製造されるごとに4INRが加算されることになった。