十人十色の収穫物

人間は、生活を楽しむ自由が与えられた。ある宗教者は、禁欲生活、または、それに近い生活を期待されることがあるが、神の意志からではない。個人の意志からだ。

神は、いつでも自由意志を許され、人間が自由に選択する様子を見ておられる。人間を縛るのは人間で、それぞれの自我から発している。

いつの世でも、人間は自分自身を縛るばかりでなく、他人も縛ってきた。ある宗教団体に出会ったとしても、自由を縛ったり、縛られたりしている環境ならば、そこでは神も縛られている。

個人の精神の自由や解放は、実現できない。人間は自らが育てたものを自分で収穫し、その収穫物を自分で使う。全部を自分のために使う人もいる。

ある人は、感謝を込めて神に初穂を捧げ、別の人は、残ったものを神に捧げる。自由意志を許している神は、残ったものでも受け取られる。

人それぞれの収穫は十人十色で、神は人間の収穫物の違いを楽しまれている。人口の数だけ、カラーがある。ヒトとして九九・九パーセントの同じ遺伝子で生きていても、一人も同じ人間は存在しない。

自由意志は神からの贈り物であり、神自身が蒔かれたタネであった。神が刈り取り、その収穫を楽しむ。

「色を楽しむ」、それは神がなさることだが、人間にもその楽しみを与えてくれた。

神は人間に、いわゆる総天然色の世界を与えてくれたが、人間の肉眼で識別(色別)できる色は限られている。

一方、神の視界には、多くの色の広がりがあり、識別できる色は、人間の肉眼の領域を超えている。神は無数の色を持ちながら、人間のように自由に色を選択することはされない。きれいな明るい色も、寒色系の暗いと思われる色も、「すべて寄せ集めて芸術品を作りたい」と思われる。

「暗い」と思われている色も、きれいに引き立てるセンスを持って創造する。

神はバラバラの色をすべて統一させ、調和させる大芸術家だ。