《胡蝶の舞》

《胡蝶の舞》について全体像を捕らえて環の評価に及んでいるものとして杉村楚人冠(一八七二~一九四五)の評がまとまっている。

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「日本に初めてのオペラとてこれだけに出来たるは先づ上出来の方としておくべし。但しオペラとは中世西洋の場末の小屋のバレエの類のみ。服装や髪の容、無暗に西洋臭くしたるはうるさし。春の女神の冠に電燈をつくるが如き何等の児戯ぞや。

踊る女に、孰れも口を開いて笑顔をさせたるは巴里辺の女にこそ似つかはしけれ。日本ではあまりわざとらしくて忌らし。歌は房子も、かね子もまづいものなり、丸で野性の声なり。

胡蝶は合唱のみなれば巧拙は分らねど声は慥に引立たず、ソコになると流石環女史、超然として群を抜いて声といひ、節まわしといひ、殆ど比べ物にならず、僕は森律子をかねがね日本一の賢い女と思ひゐたが、今夜初めて日本一の賢い女、今一人ありて柴田環なることを知れり云々」(18)

女優論

女優劇を興行して世間の耳目を集めた帝劇養成の新しい女優達は、連日満員の好況にわが意を得たりと意気揚々たるものがあった。

しかし、世間では彼女たちを好奇の目で見て芸者とさほど区別しない向きもあった。女優はその姿や声の媚めかしさが芸の魅力を支える不可欠の要素である。

そのため、舞台のエロチシズムが即実生活の素行と結びついて印象づけられ易い。女優の日常生活を噂の噂と言いふくめてスキャンダラスな記事を、興味本意に書きたてると、女優は書かれることが人気を得る唯一の方便と諦めるこれをよいことに下心ある者たちは女優の誘惑に余念がない。恋文や脅迫まがいの脅し文が届けられたりもする。(19)

さて、この時期に柴田環が女優についての意見を「中央公論」誌上で述べているのが目をひく。(20)

恐らく新しい女優像についての初めての見解といってよいであろう。

過般、帝劇女優たちが環が専横であるとして慣概し、話をまいたことに対し、「中央公論」の記者は環の反論を期待したものと思われる。