一般社団法人『Tradition JAPAN』代表で、着物活性プロデューサーである矢作千鶴子氏の書籍『きょうは着物にウエスタンブーツ履いて』より一部を抜粋し、日本の重要な財産である「着物」について考察していきます。
「笑顔」は平和をつくり、品格を育てる
私は、高校3年生の時に、陸上競技で400mを専門に走っていました。
私にとって400m走は、心臓と大腿筋(だいたいきん)と最後の方は大臀筋(だいでんきん)が死ぬほどつらい競技でした。100m走は直線を13秒くらいで走り終えますが、400m走は初めからハイスピードでグラウンドを一周する短距離走なのです。
そもそも、400m走が専門になる前は、走り幅跳びと200m走を専門にしていましたが、私の記録ではインターハイは無理かもしれないということで、監督から「400mを走るように」と忠告されたのでした。
その理由は体型にありました。
高校1年生の頃、走り幅跳びでは5m60㎝の記録を出し、200m走も県内ではトップの成績だった私が、3年生になると、この時期の女子特有の体型変化が表れるようになったのでした。練習しても体重は増え、体が丸みを帯びてきたのです。
体重増加の原因を母の作るお弁当のせいにして、ご飯を少なめにするように言いました。母は毎日、小さくしたお弁当のスペースにお餅の形のような少量のご飯を入れた弁当を持たせ、心配してくれました。
高校生になると女子には体の変化が起きますが、高校3年生になった私は、その変化が顕著でした。
学校のために好成績を残すことは、特待生で入学した私にとっての任務です。高校最後の年のインターハイ出場が無理かもしれないなら、死ぬよりつらい400m走が最後のチャンス。実行するしかありませんでした。
最後の年の試合は、走り幅跳びと200m走に加え、400m走の3種目に出場することになりました。