第1章 中学時代の〔管理主義〕体験──「頭が固くなってるんですよ」
〔管理主義〕から生まれた反骨心──「学校を変えてやる!」
私はいわゆる下町の出身である。昭和50年代という中学生時代は、学校が荒れた時期だった。10年周期で学校の「荒れ」がやってくるとも言われたが、その段々と荒れていく様を5歳下の妹の時代も含めて目の当たりにすることとなった。
私の見立てでは、〔管理主義〕によってがんじがらめに抑えつけられた、それへの反発が、がんじがらめが緩んだところで最大級の「荒れ」を引き起こすと思われた。
私は、いわゆる真面目な方の部類に入る中学生だったと思う。自分のやりたいバレーボール部がなかったので、1年生の時に署名活動を行い、学級担任が顧問を引き受けてくれるということになり、かつてあった男子バレーボール部を復活させ、部長となった。
かつてのOBからのサポート、指導をいただき、また、OB会の練習や試合にも参加させていただいたことは、その後の私にとって大きな財産となった。専門外の顧問からは、ほとんど指導と言えることは何もしてもらえなかったが、バレーボール部を作ってもらい、管理顧問として、練習や試合のできる場を与えてもらったことにはとても感謝していた。
2年生の秋、生徒会役員選挙に際して、先生から生活委員会委員長に立候補するように薦められた。この学校では、主要委員会の委員長は選挙によって選ばれることになっていた。部活人間だった私は断ったのだが、学校運営上だかなんだかわからないが、執拗に立候補を求められた。
仕方なく立候補したが、周りの仲間には、「俺に投票するなよ」と言って回っていた。程なく落選したので、ホッとしたのだった。実際のところ、「私でなくて良かった」と思える素晴らしい生活委員会委員長が誕生した。