生命の崇高と人体構造の神秘を描き切る傑作。

ほぼ100日、約3カ月におよぶ正統解剖学実習。死者と向き合う日々のなかで、医学生たちの人生も揺れ動いていく。目の前に横たわる遺体(ライヘ)は何を語るのか。過去の、そして未来の死者たちへ捧ぐ、医療小説をお届けします。

第3章 上肢をはずす

いまは上腕の筋肉を調べるのだった。腕を曲げる屈筋と伸ばす伸筋に分かれるが、力こぶで馴染みの有るのが上腕二頭筋である。自分で自分の筋肉を触ってみて確認できるので親しみの持てる筋肉だ。

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その裏側に伸筋の上腕三頭筋が有り、さらに伸筋の肘筋が前腕の回内に関係するのを知る。いま、御遺体はうつ伏せなので、肩甲骨が良く目立つ。

続いて、僧帽筋、菱形(りょうけい)筋、肩甲挙筋、大円筋、小円筋など肩甲骨に付着する筋肉と幾つかの神経、動・静脈を確認する。つづいて、テキストによると、上肢を切り離す、とある。

幾つかの筋肉や神経、動・静脈を切断して体幹から切り離すらしい。まるでプラモデルの人形ででもあるかのように、腕が身体からすぽんと外れる様を想像した。関節が外れるとは、時々聞いた事は有るが。

まず腹臥位のまま広背筋、肩甲挙筋、菱形筋を筋腹中央で切断する。次に仰臥位にして、鎖骨下動脈、静脈を切断する。が、ライヘの体位を変換するのは、一苦労だ。四人掛かりなのだが、今回は2回目なので要領は分かっている。

まず一方の側面を床につけてそこを支点にし、他方を持ち上げて90度回転し、ここで初めて体全体を少し持ち上げ、空中でさらに90度回転して、目的を達する。背臥位となり、幾つかの神経と前鋸筋(ぜんきょきん)を最後に切断すると、実習書の言うとおりに上腕が身体から分離した。

肩の関節はそれほど頑丈なものではないと、どこかで聞いたことがある。まるで丸太でもかかえるように、高久が両手で持ち上げた。肩甲骨も一緒について来ている。予習の不十分なぼくは一瞬間違えたかと思ったが、予習して来ている高尾はこれでいいんだ、と賢者の独り言のように呟く。