特別なルービックキューブ
そのデパートの火災から二ヶ月後に、両親が離婚した。二人の子供は一人ずつ両者が引き取ることになった。母は洋一の目線に合わせてしゃがみこむと言った。
「あなたが選んで。パパとママ、どっちについていきたい?」
すぐ間近で揺れている、母の潤んだ真剣な瞳を洋一は見つめた。突然のことで、洋一は面食らっていた。
だが幼心にも、自分が今、人生の重大な決断を迫られていることを肌で感じていた。これはすぐに答えられる問題ではない、と洋一は判断した。
「ちょっと考えさせて」
息子の大人びた口調に、母は少し驚いたようだった。
「分かったわ。じっくり考えて。決まったら教えてちょうだい」
洋一はうなずくと、その場を離れた。これ以上母の近くにいたら、息苦しさのあまり呼吸ができなくなるような気がしたのだ。
一人になると、洋一はなんとなくルービックキューブを手に取った。いつものように六面揃えた後、しばらく惰性で意味なく回転させる。
ふと、その手が止まった。
これで決めたらどうだろう? サイコロのように転がして、赤、黄、オレンジが出たら母に、白、青、緑が出たら父についていくのだ……。
赤、黄、オレンジが出たらいいな。無意識のうちに漠然とそう願いながら、エイッとばかりに転がした。ルービックキューブは絨毯の上を勢いよく転がって、赤の面を上にして止まった。洋一はなんとなくホッとすると、ルービックを拾いあげてから、母のもとへ行った。
「決めたよ」
「あら、もう決まったの」
母は意外そうな顔をした。洋一の前にしゃがみこむと、肩に手を乗せて、再び洋一の目を覗き込む。
母が緊張しているのが、肩に乗せられた手を通じて伝わってきた。自分が発する一言で、母の人生が変わってしまうのだ、と瞬間的に洋一は悟った。少しだけ、洋一はいい気分だった。母がこんなに自分の言葉を重要視してくれたことなど、いまだかつてなかったから。軽く息を吸い込むと洋一は言った。
「僕、ママについてく」
母は一瞬嬉しそうな顔をした。それは本当に一瞬だったが、洋一は見逃さなかった。洋一が母を選んだことで、必然的に妹は父に引き取られることになった。
人生の重大な節目を、ルービックキューブに託したという思いを洋一は持っている。
もしあのとき、白、青、緑のどれかが出ていたら、洋一は父についていっただろう。そして妹は母に引き取られたはずだ。
年月と共に、ルービックキューブの色もはげてきた。洋一は専用のシールを買ってくると、すべて貼り直した。滑りをなめらかにするプラスチック用の潤滑油も買い、たまに注入してメンテナンスもしている。
だからあれは特別なルービックキューブなのだ。
なによりも、今は亡き母の形見でもあるのだから。