呉服屋の記憶。戻ってきた子どもたちを見て曾祖母は…

美代子の実家は横浜元町商店街のはずれでJR石川町の駅から数分のところで、母親が父の両親から呉服店を引き継いできた。最近は着物離れで昔のように商売も繁盛というわけではなかった。

父は呉服店を引き継ぐ気がなく大学を出てから大手電機メーカーに就職し、営業職で転勤が多かった。美代子が小学六年生の時、神戸のJR摂津本山駅の近くのマンションから祖父母の住む横浜石川町へ戻ってきた。

神戸には約四年間住んでいたが関西弁に染まることはなかった。どういうわけか母は横浜育ちなものだから関西弁が嫌だったので美代子が学校で友達との会話を家に持ち込むとすぐに「美代子止めなさい」とたしなめた。

反面父は、お客さんと接する仕事なので出来るだけ言葉の壁を作らないように普段着のように自然に任せていた。美代子は神戸の空気が好きだった。なぜなら自分が生まれた横浜に似ているところがあり、海が近くにあるのがそうさせていた。