住んでいた東灘は海側に阪神電車、真ん中にJR、そして山側に阪急電車が並行して神戸・大阪間を走っている面白いところで、自宅は阪急電車側にあり、車体の色は「マルーン色」といって小豆色一色に統一されている。
海側の阪神電車は「下町の庶民の電車」として古くからの住宅地や工場が密集していて阪神タイガースのおひざ元で沿線には労働者の憩いの場である競輪・競艇場がある。山側の住宅地は高級住宅地として芦屋と並び有名だ。中学の受験は横浜の地元のキリスト教系の中高一貫の女子校を躊躇なく選んだ。
家から歩いて通学出来るのが魅力だった。学校は元町商店街を抜けて途中から外人墓地の方角に坂を上っていくと高台にあった。祖父母は、息子たち夫婦と孫が横浜に戻ってきたのが大変うれしかったようで、母に着物の事について全てを教えていた。母も嫌いではなかったので基礎をしっかり覚えることに抵抗がなく受け入れていた。
お店では祖父母より一歩下がった位置に正座して来客の応対を見守っていたのが眼に浮かぶ。夕飯の時、自分たちの家族だけになったときは、慣れないから足がしびれて正座がつらいとこぼしていた。美代子には二歳下の妹がいるが母に似ていて小柄な方だった。自分は父に似たところがあり背丈も同年代の中では大きい方だった。