「何れにせよ、こんなことがわかったんや。親としてこのまま娘を殺すかもしれん男と一緒にはしておけん。娘はすぐに引き取る。離婚は承知して貰うよ」

智子は隣に座る美紀の方を一瞥もせず道夫を睨みつけながらそう言い放った。母の智子はその日のうちに運送屋を呼び山本家から美紀の嫁入り道具の一切を運ばせ、渋る道夫に判を押させた離婚届を志摩市役所に提出した。

美紀が一月あまりの結婚を終えて実家に戻ると、智子は結婚前までは決してさせることのなかった漁火の手伝いをさせるようになった。これからの生計のために跡を継がせようと母なりに娘の行く末を心配してのことだった。美紀がスナックの仕事に漸く馴染んだ頃だった。

「美紀ちゃんがお嫁に行っている間、ママは独りぼっちになったと言ってしょぼくれていたよ。そやけど、また元気が出て来たみたいや。女傑と言われるママもやっぱり人の親なんやね。娘が傍にいると生きる張というかそんなもんがやっぱり違うんやろね」

カウンター席に座った客の一人がボックス席にいる智子に目を遣りながらそんなことを美紀に話してくれた。美紀が目を向けると冗談でも言い合っていたのか智子は客と大笑いをしているところだった。

嫁に出ていた僅か一月ばかりの間だったが、母はああやって大笑いをすることもなかったのだろう。客に言われて初めて美紀は母の笑顔とは裏腹に娘には見せたことのない一人ぼっちだった智子の寂しさを知ったのだった。

小さな海辺の町で生まれ育ち、スナック「漁火」で働く美紀には小学生の頃の忘れられない思い出があった――。つましくも明るく暮らす人々の交流と人生の葛藤を描いた物語。